『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』22.「誓約」
基地を占拠して指導権を奪うべく、軍隊が乱入。
『エヴァンゲリオン』でも思ったことだけど、独立性が高い…とはいえ所詮は政府管理下の一組織に過ぎない相手に対し、武力を持って接収、というような乱暴な手を使わなくても良いような。
多少時間は掛かるけど、基地司令部の解任、あるいは転勤、不正をデッチ上げて失脚させた後、軍部(政府)からの人員の大量流入により、合理的に乗っ取ることは可能かと。
まあ、年金関係の組織とかでさえ政府の指示を受け入れてくれない現実があり、強力な武装を持つ機関に対するコントロールが容易だとは言わないけど。
司令官のカリスマ性に引かれて集まった人員ばかりな訳もなく、組織の、より上層部からの命令、という事であれば、受け入れる人間の方が多いのでは。
この作品の場合、軍部の命令を徹底させる監視役として、軍隊を導入した、って事なのかな。
アメリカに負ける約束になっていた、というのも、よく分からない。
中国だってロシアだって、怒らせて構わない国ではなく、また こんな戦いでの勝敗を従容と受け入れてくれる大人な国家ではないだろう。
それらの国に勝ってきたのだから、アメリカとも一発勝負してやれ、などと思わないものかなあ。
軍部が徹底抗戦を主張し、基地側は、パイロット達の危険と厭戦気分のため講和による終戦を主張する、というなら分かるけど。
アメリカは、自分の国が負けたなら、この「戦争」そのものの無効を主張し始める恐れがあり、色々考え合わせると、アメリカがナンバーワン、日本が次点の地位を確保し、有利な立場で生きていく選択は、合理的?
『エヴァンゲリオン』に似ている点が多々見られる作品だけど、それは「パクっている」というより、「俺ならこうした」「こうするべきだった」「お前間違ってるよ庵野」という事を言いたいため、故意にやっている事なのかなあ、とか考えてみたり。
20話「試練」で、精神汚染攻撃に対し、主人公らが強い意志と、仲間の存在で乗り越えて行く、あそこで強くそう感じた。
分かり合えないことなんか無い、「気持ち悪い」などという終わり方はあり得ない、誰かが居てくれるのは嬉しいことだし、救いであるべき。
よく分かる…というか、分かる気が、勝手に、する。
というのも、『エヴァンゲリオン』を見終わって、余りの満たされなさに書いてしまった自分の、シナリオとも小説ともつかないシロモノが、丁度こんなテーマを訴えようとして、実に似た展開を迎えていたから(イタタタタ)。
でも、『エヴァ』では、「分かり合える喜び」を、シリーズの途中でもう描いているんだよね。
その上で、更に深い所からの困難と絶望を見せていたのだから、こういうやり方では「不幸な深度まで到達させない事により、ハッピーに見せている」に過ぎない。
訪れるクライマックスで、何か乗り越えていく…全く異なる優れた要素を見せてくれるのかどうか。
かなり不安だけど、期待もしつつ、見守りたい。
『エヴァンゲリオン』でも思ったことだけど、独立性が高い…とはいえ所詮は政府管理下の一組織に過ぎない相手に対し、武力を持って接収、というような乱暴な手を使わなくても良いような。
多少時間は掛かるけど、基地司令部の解任、あるいは転勤、不正をデッチ上げて失脚させた後、軍部(政府)からの人員の大量流入により、合理的に乗っ取ることは可能かと。
まあ、年金関係の組織とかでさえ政府の指示を受け入れてくれない現実があり、強力な武装を持つ機関に対するコントロールが容易だとは言わないけど。
司令官のカリスマ性に引かれて集まった人員ばかりな訳もなく、組織の、より上層部からの命令、という事であれば、受け入れる人間の方が多いのでは。
この作品の場合、軍部の命令を徹底させる監視役として、軍隊を導入した、って事なのかな。
アメリカに負ける約束になっていた、というのも、よく分からない。
中国だってロシアだって、怒らせて構わない国ではなく、また こんな戦いでの勝敗を従容と受け入れてくれる大人な国家ではないだろう。
それらの国に勝ってきたのだから、アメリカとも一発勝負してやれ、などと思わないものかなあ。
軍部が徹底抗戦を主張し、基地側は、パイロット達の危険と厭戦気分のため講和による終戦を主張する、というなら分かるけど。
アメリカは、自分の国が負けたなら、この「戦争」そのものの無効を主張し始める恐れがあり、色々考え合わせると、アメリカがナンバーワン、日本が次点の地位を確保し、有利な立場で生きていく選択は、合理的?
『エヴァンゲリオン』に似ている点が多々見られる作品だけど、それは「パクっている」というより、「俺ならこうした」「こうするべきだった」「お前間違ってるよ庵野」という事を言いたいため、故意にやっている事なのかなあ、とか考えてみたり。
20話「試練」で、精神汚染攻撃に対し、主人公らが強い意志と、仲間の存在で乗り越えて行く、あそこで強くそう感じた。
分かり合えないことなんか無い、「気持ち悪い」などという終わり方はあり得ない、誰かが居てくれるのは嬉しいことだし、救いであるべき。
よく分かる…というか、分かる気が、勝手に、する。
というのも、『エヴァンゲリオン』を見終わって、余りの満たされなさに書いてしまった自分の、シナリオとも小説ともつかないシロモノが、丁度こんなテーマを訴えようとして、実に似た展開を迎えていたから(イタタタタ)。
でも、『エヴァ』では、「分かり合える喜び」を、シリーズの途中でもう描いているんだよね。
その上で、更に深い所からの困難と絶望を見せていたのだから、こういうやり方では「不幸な深度まで到達させない事により、ハッピーに見せている」に過ぎない。
訪れるクライマックスで、何か乗り越えていく…全く異なる優れた要素を見せてくれるのかどうか。
かなり不安だけど、期待もしつつ、見守りたい。
スポンサーサイト