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『空を見上げる少女の瞳に映る世界』03.「立ち向かうこと」

 カズヤとスズメによる渡河作戦自体はともかく、何のためにわざわざ目立つやり方で学校を抜け出し、昼間に川を渡る必要があったのか。
二人とも学校を休んで計画を実行すれば良いはずだし、放課後に行えば少なくとも教師の干渉は受けなかったはず。
 騒がれ、構われたかっただけなのか…「そういう障害にも負けず川を渡りきる僕達の愛はホンモノ」という激しい自己陶酔なのか。

 渡っている最中には、もっとイベントを組んで心の動きも追い、大変な行動だった事を実感させて欲しいもの。
「手が離れてしまいました」ぐらいしかアクシデントが無いし、見守る観客の視点から行動が描かれるため、主体となる二人の気持ちが伝わってこない。
 これで良いのなら、前回 時間を取ってカズヤの過去なんか見せる必要はなかったはず。

 世間に多大な迷惑と心配を掛けて ただ川を渡った二人の行動が契機となり、「みんなの未来を守ってくる」などと言い始め異世界の存在と積極的に関わろうとするヒロインも、意味不明。
 「ボチボチ話が動いてくれないと困るからヒロインには能動的に行動して欲しい」制作者側の都合ばかり見え、物語としてヒロインに決断を強いるようには出来ていないのに、無理矢理 走り出させてしまった。
 事態にヒロインを巻き込む直接的な方法など いくらでもあると思うが、友人の渡河が動機付けになる、という回りくどい構成にし、しかも失敗して説得力皆無に。

 ムントと手が触れ合った後のヒロインのセリフ、「一瞬、二つの世界が繋がって、双方に滞っていた巨大な力が、二人の手から一気に交差し、世界に流れ込んでいった」。
…何でこんな事がヒロインに分かるのか不思議だし、こう言われても意味がよく分からないし、かなり重要だったのだろう この出来事をセリフで説明して済まそうというのも感心しない。

 色々な事を投げ出しにしつつも「打ち切りエンド」っぽい終わり方だったので、本気で最終回かと思ってしまったが、まだ続くのか。
 うーん、作画には見応えがあるけれど、シナリオの不出来さ加減が酷い。
これ以上見続ける理由はない…かな。
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『CLANNAD AFTER STORY』16.「白い闇」

 朋也達の部屋に集まってきた旧友達との会話。
 「親」になる朋也に、その心境を尋ねる春原。
実感がない、という答え。
 自分にも「親」になった友人は多くおり、まだ親たり得ない身として、同じような事を尋ねた事がある。
二十代の友人も、三十・四十代の友人も、変わらず答えは「よく分からない」だった(「嬉しい」「増える家族のためにも頑張って働く」というのは前提として)。
 自らの体の内に大きな変化が生じ、やがて大きなリスクを冒して新しい命を生み出す「覚悟」を否応なく持たなければならない女性に比べ、男が「親」になる実感を持つのは ずっと遅れてしまう。

 目指すべき大人が出てこないし、登場キャラクターらも高校時代で精神年齢が止まり、彼らを大人にするような環境は用意されない作品作りが疑問だったけれど、「妊娠・出産」というイベントに「誕生と死」を同時発生させて、大人になるべき状況であり、大人にならなければならない立場にあるが、その自覚を持たない主人公・朋也(…それは自分含む多くの視聴者と等身大だろう)に、ただこの一点で変化を強いる物語だったのか、と思う。
 本当にそうなのか、それが上手く行ったのかどうかは、まだこの後を見なければ分からないけれど。

 腕に抱きかかえた我が子と、衰弱しきった様子で横たわる渚以外、全てが白く消えて存在しなくなる出産後の世界。
 相手を安心させようと無理をしても笑ってみせるキャラクターである渚に、そんな余裕さえなく、表情が無くなってしまっている。
渚のセリフに、健気さや可哀想さを強調するモノはいくらでも考えられたと思え、視聴者の涙を振り絞らせる事は まだ数段階にわたって可能だったと思うが、そう「しない」判断が素晴らしい。

 新しい命を抱える喜びと、目の前で失われようとしている渚の命を同時に目の当たりにする朋也の顔に浮かぶ、嬉しさと悲しさと希望と絶望。
 命の炎がゆっくりと小さくなっていき、燃え尽きる、渚の表情。
 渾身の、演出と作画。

 泣けた。
 こういうのはズルい。
 でも泣いた。

 卒業というイベントに意味が無くなるからキャラクター達は成長するべきだ、と思いつつ、そんなドラマなんかどうでもイイから親子三人アホみたいな笑顔で「ボク達幸せです」とかのうのうと抜かす終わり方を望んでもいた、矛盾する心境だったのだけれど。
 あと何話ある物語なのだろうか。
どのようにしてこの辛い因果を閉じるのだろうか。
 「見続けていて良かった」と思わせてくれる作品であって欲しい。

映画『ティンカー・ベル』

 映画『ティンカー・ベル』を見る。
 『ピーター・パン』に登場する妖精を主役に据え、その誕生と成長をCGで描く、スピン・オフ作品。
全4部作になるとか。
米ではDVDセールスのみで、劇場公開はされていない。
 監督は、『ポカホンタス2』『ライオン・キング3』など、ディズニーの続編劇場未公開物を手掛けてきたブラッドリー・レイモンド。
製作総指揮が、『トイ・ストーリー』『カーズ』のジョン・ラセター。

 どういう視点で見るか、だなあ。
 子供向け作品としては、鬱屈を抱えたティンカー・ベルが、頑張って「自分」を発見(確認)し、皆に認められる様子を描いており、悪い内容ではない。
 しかし、いい歳の人間が見ると…

 以下、内容に触れます。


 まず、本編である『ピーター・パン』と上手く繋がらないティンカー・ベルのイメージ。
物作りの才能がある、なんて描写は本編になかったと思う。
 このタイトルありきで通った企画なんだろうけど、これなら全く別の妖精の話、とした方が見易いような。

 色々と やりたい事を試してみたけれど、結局は「上」から言われた通りの道を選び、才能を活かしていくのが正解でした、とする筋に乗れない。
 「教育的」には、とても良いストーリーなのだろうが。

 妖精達の仕事を便利に、効率的に変えてしまったティンカー・ベルの行いも、どうなんだろう。
 「これで終わり」の作品としては特に問題ないけど、今回使った手法と機材によって、これまで長い時間を費やしていた「職人」としての妖精達の仕事が、一瞬で終わらせられるモノだと分かってしまった。
それを素晴らしい進歩と取るか、未来に危機を孕んだ事態と取るかは、観客の自由かな。
 全体にこうして効率化を図っていけば、新しい妖精は要らなくなる。
専門の才能が必要ないなら、人員を固定化させず流動的に使った方が効率良い訳だし、もっと量産化機構が進めば仕事に従事する妖精の数そのものからカットして構わない事になる。
実に今日的。
 そんな変革を、ヒロインであるベルに成し遂げさせる事について、制作者はどういう意図を込めてあるのか、あるいは意図を読み取るべきではないのか。

 ベルの冴えない仕事仲間男子二人が、出ていただけで印象弱い。
彼女を嫌う妖精と合わせて、彫り込めば面白くなりそうなのに、上手く使えていないのが残念。
それは、次作以降の展開になるのか。
 CGの出来は悪くなく、独特の世界観提示に引かれる部分があり、今作ラストで示された本編とリンクしそうな要素をどう料理するのか、に興味もあるけれど…うーん…

映画『007/慰めの報酬』

 映画『007/慰めの報酬』を観る。
 主演がダニエル・クレイグに代わって二作目、通算二十二作目の『007』。
監督は『ネバーランド』『主人公は僕だった』のマーク・フォスターで、アクションの手腕には疑問があったけれど…

 そのアクションシーン。
 激しさ、パワフルさを強調するためか、早いカット割りを多用し、客観的に全体を写すアングルを避けており、確かに迫力はあるが「何がどうなっているのか分からない」という弊害も。
それは特に、前半部に顕著。
 慣れたのは制作陣(アクション専従スタッフ?)か観客か、中盤以降は見易くなってくる。

 そういう撮り方と、クドクド説明しない展開の速さにより、理解しきれない箇所が。
 ある場所に居た、ボンド以外の全員が撃たれたように見えたのに、何気なく生きているキャラが居たり。
どういう理由で生きていたのか、について、もうちょっとフォローがあっても…確かに不要と言えば不要な所だけど。
 ボート・アクションも、最後は どういう方法で勝ったのか、よく分からなかった。
 ホテルで受け取るトランクは、誰が、何の目的で預けてあったのか、というのも、大筋は分かるんだけど即座の理解はし難い。

 物語。
 シリーズで似た話を探すとしたら『消されたライセンス』ぐらいか。
 前作から引き続き、容赦なく相手を殺す「殺し屋」としてのジェームズ・ボンドが描かれる。
そりゃもう、上司から怒られるぐらい。
でも…考えてみれば、これまでもボンドは敵対してくる相手を大抵は殺している。
いくらか洒落ていたり「乗り物ごと破壊」といった見せ方をしているため、ここまで殺しがシリアスに扱われなかっただけで。
 物語を経て、傷ついたボンドの心は癒えたのかどうか、それは観客の解釈次第。

 黒猫を膝に抱いて撫でながら話をする、分かりやすいボスのスタイルを確立した悪の組織スペクターに代わる、新しい悪党集団の有り様が見えてきた。
トップが誰か分からないし、必要・計画に応じて集まる形式になっているのかな。
 一諜報員が相手に出来る敵ではなく、もしかすると彼らの悪巧みは、イギリスの国益にさえ叶うモノだったりするかも知れず、そうなるともう手の出しようがない。
 だからこそ、この「殺し屋」としてのボンドが活きてくるのか。

 亡きヴェスパーに対する気持ち、劇場で敵を識別する機転、等々、意外に繊細で頭の回るボンド像が魅力的。
 積極的に現場まで出向く行動力を見せ、無理解なようでボンドを理解する、「母親」っぽい?Mもイイなあ。
 『カジノ・ロワイヤル』の方が全体にバランスが取れていたと思うけれど、新生『007』二作目として悪くない出来。

 ただ…ただ、最初に見たのがロジャー・ムーア・ボンドで、伊達とお洒落と余裕ある格好良さをシリーズに求めるオールドファンとしては、面白くとも『ボーン・シリーズ』や『24』っぽくなってしまった『007』には、一抹の寂しさアリ。
 ここ二作は大ヒットしているのだから、この路線変更が正解だったのは認めつつ。
 次回作では、もう少しぐらい旧来のパターンを活かしてくれる内容になっていると、嬉しい。

『宇宙をかける少女』04.「まつろはぬ者達」

 「もう泥棒するのは当然」とばかりに、冒頭から盗みの手伝いをしているヒロイン。
 前回 登場した機械モンスターがハッキリ脅威と認識され、それと対抗できるのはプログラム人格に問題はあるがレオパルドのみ。
気は進まないけど、彼を完全な状態にしなければ宇宙が危ない!という訳で、ヒロインは渋々と協力を続けているのでした。
 …といった感じの背景ではないかと思うけど、一応はしっかり説明し、もう4話目なのだから、このシチュエイションを活かした発展形のエピソードが入っても良いぐらい。
 確かにそういうのは古い・ダサイ・ありふれた構成かも知れないが、基本をすっ飛ばしても面白く見せられるほどには作品にパワーが足りていないので。

 犯行予告時にさえ正体を隠しているのに、有名でない事が不満なレオパルド。
 よりにもよって絶対に素顔を晒してはいけない状況下を選んで、わざわざ(意味なく)カツラを捨ててみせる いつき。
 ギャグの一部なんだろうけど、笑えないどころか、疲れる。
 特にレオパルドについては、普段アホキャラなのは構わないとしても、ボチボチ「やる時はやる」部分を匂わせるぐらいして欲しい。
盗みについて見事な計画を立案するとか。
このままだと、そういうネタを考えるのが面倒臭いからアホで居させ続けているのかと疑ってしまいそう。
 せめて、何かしらヒロインに認められるだけの「魅力」を持っていればなあ。

 問題点を羅列するとキリが無く。
 まだ設定を小出しにしている段階なので、多少混乱した内容になるのは仕方ないが、それらに対し疑問を抱いたり反抗したりする、視聴者に近い視点を持ったキャラが居ないのは困ってしまう。
ヒロインがそうあるべきなのに、彼女こそ最も激しく物語の都合に左右されているようで。

 女の子二人が次第に脱がされていくサービスは、視聴者に喜ばれて結構。
 何気なくレオパルドの側にぶら下げられている多数のティーパック、高速コーナリングで彼の元に向かう路面電車…既出の細かな設定を発展させて使う部分に、面白い所もあるんだけど。

『機動戦士ガンダム00 2nd season』16.「悲劇への序章」

 大半が、軌道エレベーターに立て籠もるクーデター派と、攻め寄せるアロウズの戦いに費やされ、刹那らソレスタルビーイングの面々が余り登場しない、異色話。
 戦いも、実戦よりは「情報戦」の方にウェイトが置かれている、現代っぽい内容。

 クーデター首謀者のオジサンも、何も考えていない訳ではなかったようだが、まだまだ、「我々は正しい事を訴えているのだから、必ず伝わるはず」というような理想主義…甘さが見えてしまう。
 世界を制する相手に対し、義を持って誤りを正す事で勝とうとするなら、それをどのような形で、どうやって伝えるかが、最も大事。
その辺は、園田健一先生の漫画『砲神エグザクソン』に徹底して描かれている。

 クーデター派、放送衛星の一つぐらい乗っ取るか、自前で用意できなかったのだろうか。
政府・アロウズにより規制は引かれていようが、ネット上に無数の情報をばらまいてみるとか。
せめてソレスタルビーイングやカタロンと事前の打ち合わせをしておけば、もうちょっと有用なアドバイスをもらえた…かも。
 この世界の一般人は…マスメディアも?自分達が幸せである限り他者の事には興味がない、もしかすると幸せを揺るがす情報をシャットアウトする事に積極的ですらあるのかも知れず(クーデター派の演説に ただ迷惑そうな人質達の顔が印象的)、そんな彼らをただ信じるのは、楽天的すぎ。

 CGで加工したのか、オートマトンに人質がバリバリ撃ち殺される監視カメラ映像を、僅かな時間で「犯人はクーデター派」として描き換える政府・アロウズの手腕が、凄い。
仮に、生還した人質の内わずかな者達からオートマトンの暴挙が語られても、「人質を(不審な動きにより)クーデター派と誤認識した不幸な事故」「攻撃を受け機体が損傷して誤作動を起こした」「状況を混乱させようとするクーデター派が操る偽オートマトンの仕業」等々、いくらでも言い訳は出来るだろう。
 このやり口からすると、過去には非人道的な事もしているソレスタルビーイングなんて、どれほどの極悪人として報道されてるんだろ。

 猛烈な加速減速に耐えかねてか疑似トランザムの副作用か、口から血を流しながら頑張ったブシドーだけど、今回は(今回も?)邪魔者に過ぎず、すぐ退散。
 「こんな事もあろうかと」もう一基用意してあったメメントモリ。
なんて厄介な!

『空を見上げる少女の瞳に映る世界』02.「逃げること」

 ???
このアニメの主人公って、不良少年?
 彼が抱える事情と、幼く見えるヒロイン友達との出会い、彼女がもたらした救い、そして結婚しようと決意するに至るまでの経緯を、ゆっくりたっぷりと描いていたが…
 ヒロインのキャラクター描写が まるで出来ておらず、ムントと呼ばれる少年もまだ影が薄く、異世界と現世界の危機については設定書を読み上げているような分かり辛い描写に終始している現状で、何にも優先して彼の内面を見せなければならない理由とは、何だったんだろ?

 この不良少年が、「ヒロインと結婚しようとしている」のなら、時間を取る意味も分かるけれど。
 友達が不良少年の心を救った、という事で、自分も何かしようと決意したヒロインが、困難な状況に直面しているらしいムントのため異世界へ旅立つ決心を(短絡的に)する、といった結びつきにも、まだ今はなっていないし。
 「何故、彼をこんなにも彫り込んでいるのかは、回を重ねていけば分かります」なんて話ではなく、知りたい事、知っておかなければならない事が膨大にあるはずの こういう作品で、「どうでもいい」としか思えない事ばかり優先して見せられるのは、作品自体への興味さえ薄れさせかねない構成の拙さ、視聴者の生理を無視した制作者の独善。
 何をもって、視聴者の心を掴もうとしているのか?

 作画は良いし、家の吹き抜け部分に現れるムント幻影のレイアウトには感心もしたけれど…
 ちょっと、厳しい。

『仮面ライダーディケイド』01.「ライダー大戦」

公式サイト

 冒頭、歴代ライダー達が集合し大活躍を…というかザコのようにポコポコやられてたけど…見せるシーンは、第一話だけあって やたら爆発させる頑張った撮影もあり、燃える。
 ストーリーは、突然の襲撃と世界的危機はともかく、最重要アイテムだろうベルトやカードケースをヒロインが そこいらで拾ったり、写真館の絵を見るや異世界に移動したりと、ムリヤリな印象は拭えず。
まあ、そもそも全く世界観の違う各ライダーを一つの作品に詰め込む、という企画その物が無理無理な訳で、流れるように自然な展開など最初から望むべくもないが。

 物語部分を強引に圧縮したお陰で、カブトや響鬼など、ディケイドから変身するライダーの活躍は、らしく(クロックアップが嬉しい)、割と ゆっくり見せられており、そういう意味でのツカミには成功していると思える。
そこが売りの作品なのだから、作り方に間違いはない。
 ディケイド形態での戦闘能力については未描写だけど、それは次回以降、各世界のライダーと戦うようになってからの お楽しみか。

 良い奴ではないがロクデナシでもなく、好戦的でも戦いを忌避している訳でもない主人公は、まだ薄い。
 「世界の全てを写真に写したい」基本動機は、旅を続ける作品に相応しいかな。
 『キバ』の お兄ちゃんは登場したが、さすがに『クウガ』オダギリジョーの出演は不可能だったらしく、代役(クウガが五代雄介ではない世界なのか)。
出来るだけオリジナルの役者さんが演じてくれるよう希望したいけれど、どの辺りまで出てくれるんだろう。
それも、作品への興味の内。

 ディケイドのデザインは…さすがにまだ「格好良い」とは思えないものの、写真で最初に見た時のショックは薄れ、異様な姿を上手く活かす演出が成されれば馴染んできそう。
 歴代シリーズを作品に取り込む やり方が優れていた『ウルトラマンメビウス』のような楽しさを期待しつつ(會川 昇がメイン脚本だと重くなるかも)、視聴継続。

『CLANNAD AFTER STORY』15.「夏の名残りに」

 う、うーん…
妊娠・出産という大イベントを前に、体の弱い渚の「死」という危機を孕んで、シリアスな展開が続いているが…
 どうも軽い。
「学園祭の演劇を成功させられるかどうか」と、さして変わらない重さに感じられてしまう。
 それは、仕事や病気や結婚の「本当にシンドイ所」をまるで描かない、ライトな作風に大きく寄るのだろう。

 渚両親の描き方が、良く取って「子供っぽい先輩」、普通に見れば「同年代の友人」に思えるのも、軽さの原因。
 瀕死の状態にある幼少時の我が子を、病院ではなく、毛布にくるんだだけで野原に連れて行くオヤジの感性は(それを止めず追いかけてさえ来ない母親も)、理解しがたい。
「奇跡」を描きたかったのだろうし、現代医学に頼っては死んでいた設定だ、という事を割り引いても、ちょっと唐突すぎ。
 体の弱い娘の事を心から思う気の若い両親、なんてモノをシミュレートするのは難しかろうけど…

 彼らに限らず、朋也の職場の上司や先輩、学校時代の教師(ほとんど出番のない老教師を除き)、朋也父に到るまで、「大人」が出てこない作品。
 朋也らが「こうなりたい」と目指す対象は存在せず。
せいぜいで、渚両親、先輩夫婦のような仲良しで居たいなあ、ぐらいだろう。
それは、学生時代の恋愛でも実現可能な…いや、その方が実現するのに容易な目標ではなかろうか。
 意図的にやっているのだろう そのお陰で、「ライトな社会人」「『夢』としてのキレイな夫婦生活(性生活を匂わせず、ほぼプラトニックに妊娠した印象)」そして「さほど重みのない『死』」を描く事が可能になっている。

 確かにそれは、「萌え」作品の その後としては、違和感がない(なさ過ぎる)ものだけれど。
軽さ・楽しさ・明るさが この作品の持ち味だし、悪い、と単純には言えない部分でもある。

 文句言いつつも、渚は好きなキャラクターなので、死んでしまったら凹みそうだなあ自分。
 ライトな作品らしく、「無事子供が生まれ、渚も元気で、一家はいつまでも楽しく暮らしました」という終わり方にしてもらえないモノだろうか。

『とらドラ!』16.「踏み出す一歩」

 北村の恋、取りあえずの完結編。
 積み重ねてきたキャラクター描写が、大きなイベントに直面して実を結ぶ。
思い込みが激しく、押しつけがましくさえある迷惑な連中の暴走した行動は、同時に暖かく優しく、それを「愚かだ」と断ずるだけの者にはとても届く事が出来ない相手の心の深い所にまで染みていき、揺さぶり、事態を動かす。
 簡単にヒトコトで言うと、「青春だなあ」。

 意外と、心の底からアホだった北村が、可笑しい。
真面目に、一生懸命生きている人間ほど、壁にぶつかった際「ちょっとだけグレる」というバランスが分からずに、やり過ぎてしまうのかも。
 何でもズバズバ言うようで、恋愛に関しては過度に敏感な生徒会長も、可愛い。
 今時、「海外へ行く」なんてのは、必ずしも絶望的な事態となり得ないような。
ネットを通じて毎日画面付き通話をする事も、長い休みには互いに行き来する事も出来る訳だし。
高校生ぐらいの感覚では、「直接顔を合わせられない1日」は、永劫の長さと苦痛を伴い、耐えがたいモノなのかも知れないが。

 北村はこれでフリーになったのか。
そんな心の隙を狙う、というような行動を、大河は自分に容認できるのかどうか。
プロフィール

飛龍 乱

Author:飛龍 乱
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ですが、現在HPは更新できなくなっています。

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