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映画『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』

 仕事明けのボロボロな体を引きずり、映画『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:破』を見る。
 うっかりしているとネット上のネタバレ感想を読んでしまいそうになるため、なるべく早く、なるべく情報を入れない状態で見ておきたかったから。

 ネタバレなしの感想。
 いや、面白かった。
前作劇場版より更に、テレビ版からパワーアップしている部分、変えてきている部分が増えており、「これだ!これが見たかったんだ!」もある事で、満足度は高い。

 前作から時間をおいているせいもあって、綾波の声をつい『涼宮ハルヒ』長門でイメージしてしまい、林原めぐみに、最初だけ違和感を感じてしまったり。
 そのせい…でもないが、見ながら、タイミング良く放送されている『涼宮ハルヒ』「エンドレスエイト」を連想してしまう。
 似通っていつつも微妙に違う繰り返しの世界、キャラクターによる異なった選択を、異なった(望まれた)終局へと繋げていく事が出来るのだろうか。

 結婚もして、人生観など変わった…のではないかと思われる、庵野 秀明総監督のリハビリ具合を、よってたかって皆で確かめる映画。
「凄く良くなった」「ここいらは、違っているようでいてルートとして同じ」「ここは素晴らしい!」「大人になりましたね総監督」などと分かったような事を言いつつ。
 テレビシリーズを見ていて、ザックリと傷を負わされてしまったファンの心を癒してくれる、その傷があるからこそ楽しめる映画でもあろうか。
実際、アチコチでホロリと。

 「心も体も くり返す魂のルフラン」。
螺旋階段を昇っていくように、同じ所を巡っているようで居て、誰もが心を満たされる最高のゴールへと繋がっていく映画なら、いいなあ。
 「残念!今回もパイプ椅子でした。ではまた十数年後、子供が出来て今以上に人生観が変わった総監督による『超ヱヴァンゲリヲン』で、今度こそ真のハッピーエンドに辿り着けるかどうか…ご期待下さい」という事になってしまったりして。
それはそれで、また楽しいのかも知れないな。
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単行本「淫乳妻の園」

 明日か明後日あたり、ワニマガジン社様より、自分の新刊単行本「淫乳妻の園」が発売になります。
是非一つよろしくお願い致したく…えへへ。

『けいおん!』番外編13話.「冬の日!」

 ステージとか音楽とは余り関わってこないけれど、そういう話はこれまでも多々あった訳で、前回で取りあえず一区切りが付いている、という以外「番外編」と言う必要も無いような、シリーズのラスト回。
 構成というより、不安定なテレビ局の放送形態が、こういったオマケを作り出している…のかな?

 唯が やりたがっていた鍋を最後に持ってきて、皆で囲んで終わるのかと思ったが、もっと ゆる~く、穏やかな日常を描く お話。
 みんながバラバラの行動を取っているのは、唯のサプライズ誕生会を企んでプレゼントの用意などしている、だから紬はバイトを始めたのだ…と予想したのもハズレ。

 大きな事件のない、こういう話でも問題無く楽しく見せられるのは、作画と演出の高品質さがもたらす雰囲気の良さと、シリーズを通して彫り込んできたキャラクターの魅力故かな。
 寒い部室での、それぞれのリアクション。
 唯は、暖かそうだと思ったら、律の頬に手を当てて体温を分けて貰おうとするのに躊躇わない(他者にくっつきたがる性格の現れでもあろう)。
 律は、やられたら黙っておらず、やり返して大騒ぎ。
 紬は、自分の手から体温を分け与える事で他者を喜ばせられると知って、嬉しそう。
遠慮がちな梓に対し、自ら手を差し出しさえする。
 澪は、ベースの冷たさに思わず妙な、唯などに面白がられるような声を上げてしまう。
 ここだけ見ても各人の性格付けを読み取る事が出来るぐらいカッチリしたキャラクターの押さえ方で、ただただ感心。

 一人で海へ出掛ける澪、ただ お嬢様の位置に留まらず世間と触れ合う紬、ラブレターを貰い(違ったけど)「陽気なおバカさん少女」以外の顔を見せる律、自分より小さく幼い者(猫)の世話をする梓…
必ずしも上手く行かない現実とぶつかりながら、いずれ皆が自分だけの道を歩み始める、卒業や別れの時を予感させる話でも、あった。
 結局は紬のバイト先に全員集合し、部室では、武道館ライブとかいう無茶苦茶な夢で盛り上がる、陽気な締め方だったが。

 魅力的なキャラクター達とお別れなのは寂しく、第二部を期待したい所。

マイケル・ジャクソン逝去

 「スリラー」始め、面白いプロモーションビデオを作る人だった。
彼の絶頂期がPVの一番楽しかった時期だと思え、紹介番組を一生懸命観ていた事を思い出す。
 主演した映画『ムーン・ウォーカー』は変な内容だけど、ノリは好きだったなあ。
 彼の死亡を信じられないファンから、いずれ「生存説」や「元々地球人ではなく、故郷の宇宙へ帰った説」なんかが出て来そうな予感。
『メン・イン・ブラック2』で、自らエイリアン役を演じてもいたし。

 ご冥福を。

『咲-Saki-』12.「目醒め」

 割と長く引いてきた、のどかが持つペンギン縫いぐるみの顛末、解決。
 いくらでも波乱を予感させる、ダークな展開に出来たと思うが…盗んでいった二人組は すぐ改心、たまたま拾った衣は「隠して のどかを困らせてやろう」は勿論「気に入ったから自分のモノにしよう」程度の邪心も持たず、届けて喜んでもらい頭を撫でられたい、とかいう外見以上の幼さ・純粋さを見せる。
 破損して取り返しが付かないかと思われた縫いぐるみは、有能執事により完璧に近く補修され、届けに来た衣を見た のどかは「この子が盗んだのでは」などと誤解せず、補修されている意味も正しく受け取って感謝さえ(真犯人から事情を聞いていたから、だが)。
 僅かに引いた問題点は、のどかと友達になれなかった衣の残念さ、ぐらいか。

 女の子達が、揃って良い子過ぎ。
余りにもライトなストーリーに、拍子抜けしてしまう。
 欲とか裏切りとか他者を陥れる快感とか、麻雀物にアリガチなダーティーな要素をことごとく除いた作品。
「こんなに明るく楽しく可愛い麻雀の描き方が有り得るのか!」という事こそ、このアニメの大きな魅力だろう。
 勝負に、どうして勝てた・負けたのか、の描き方が食い足りないけれど、「麻雀自体の強さ・弱さ」より「麻雀に向かうキャラクターの動機の強弱」で勝敗を決めて良い作品だと思う。
「キャラが持つ萌えレベルの強さが、そのまま麻雀力に直結する」…と考えても良かろうか。

 透華の頭のアホ毛が、感情に応じてぐるぐる回ったりするのが可笑しい。
 もうちょっと取っつきづらい高慢お嬢様であった方が、ツンデレの落差が出たかなあ。
最初から良い子なので…

 今更だけど、本当に男が出てこないアニメ。
 ヒロインらの部内に一人だけ男が居るけれど、「居るだけ」だし。
普通、「黒一点」としてヒロインらとの間に三角関係を構築するか、せめて「好きな女の子のために男の子は頑張る」姿を見せるものだが…最初に設定してしまったから仕方なく出し続けている、ぐらいの存在理由しか持たない。
 女の子しか参加していない麻雀大会といい、世界の歪ませ方が徹底していて、気持ち良いぐらい。

『戦国BASARA』最終12話.「安土城天守 明日を懸けた死闘 !!」

 パワフル無茶苦茶戦国物語も、終局。
 開始当初は、いくらかでも史実に沿った物語になるのか…と思っていたけれど、その辺りは適宜 取り入れたり無視したりしている様子。
「本能寺で、計略に掛かったのは明智光秀の方」という引っ繰り返し方が、なかなか楽しい。

 安土城の城門が頑丈すぎると攻めあぐねていたけど、伊達政宗と真田幸村の乗馬は一飛び数十メートル移動する訳で、飛び込めばそれで済んだような。
 有名武将達の強さのインフレ化を進めすぎたためか、こういう齟齬がちょいちょい。
超常能力を持つような武将達が、ただの鉄砲隊に脅威を感じる、といった。
いや、「そういう作品」なので、問題だと考えている訳ではなく。

 戦国最強・本多忠勝ロボの再登場が嬉しい。
「片手がドリル(手はきちんとあり、持っている槍がドリルでした。訂正)って どーゆー事だ」「何の動力で飛んでるのか」「最後爆発するのは、具体的に何が爆発してるの?」と、この作品の楽しさと馬鹿馬鹿しさとデタラメさ加減を最も分かりやすく体現しているようなキャラ。
 主君・家康の言葉に応えるべく、死力を尽くして信長に挑み掛かる姿は、感動的なような、そうでもないような。
 さして役に立たず退場になってしまったのは残念。
まあ、修理するか新型機にバージョンアップして再登場させれば済むか。

 ツッコミ放題のアホな内容を、スピード感の溢れるアクションと、気恥ずかしいぐらいの「信頼」「友情」「愛」を絡めつつ描く、愉快なアニメだった。
 第二シーズンが予定されているらしい。
しかし、織田信長という最強キャラが居なくなってしまった訳で(復活は可能だけど)、どうするのかなあ。
有名武将の中で、一人だけ顔を見せなかった豊臣秀吉が、次のボスキャラに?

『涼宮ハルヒの憂鬱』12.「エンドレスエイト」

 夏休みの終盤を、ハルヒ・プロデュースにより充実しすぎるぐらいの日程で過ごす、楽しい日常話。
 つい何かしらの事件を予想・期待してしまうが、特に それらしい事は無く。
サブタイトルに「エンドレス」と入っているので、『ビューティフル・ドリーマー』のように同じ日程を繰り返し、いつまでも新学期が始まらない、といった不思議でもあるのかと。
 しかしまあ、ハルヒは取りあえず夏の終わりに満足しているようだし、既知の日々を繰り返すより、未知の新学期を待ちたい気分ではあろうか。

 こうして見ると、ワガママではあるものの、ハルヒも普通の女の子だなあ。
たこ焼きをキョンにだけ差し出し、一個食べても良い、と言う所なんて、可愛らしいと表現してもイイぐらい(その代わり、彼はチョイチョイ出費を強いられているようだが)。
 彼女の強引さに引き摺られ、強制的にではあるが「楽しく過ごさせられた」事に、キョンは感謝すべきかと。
本来なら、特に何もすることなく、かといって宿題もせず、漫然と夏休み最後を迎えたのだろうから……少なくとも自分の夏休みはそうして終わる事が多かった。

 夏の思い出としてまだ欠けているモノがあるとすれば、「彼氏・彼女と二人だけで過ごす時間」かな。
 ハルヒは、そういう方面がまるでコドモだから、なかなか自主的には思い付かないのか。

『けいおん!』最終12話.「軽音!」

 風邪を引いてしまい、なかなか復活できない唯。
前回のステージでは練習しすぎで声を嗄らしてしまうし、毎度何かトラブルを持ち込んでしまう娘だなあ。
 …という事への自己反省も きちんと成されている丁寧さが、嬉しい。
 慌てて家を駆け出す唯が、コケかけるけれど足を踏ん張って転ばない所、トモダチとステージが待つ学校へと急ぐ今の充足感……第一話からの変化と成長を気持ち良く伝えてくれる、構成の巧さが素晴らしい。

 唯は別段「心の内に空虚さを抱えている女の子」ではなかったし、軽音部の面々も深刻な仲違いを経て絆を固めるようなイベントがあった訳ではない(軽いタッチでは、あったけど)。
 このステージに特別な何かが係っている訳ではなく、成功しようが失敗しようが、彼女達の何が変わるとも思えない。
 それでも、皆が揃っての演奏は心地良く、うっかりすると涙腺に来そうになってしまう盛り上がり。

 音楽のパワーは、凄いなあ。
 アニメに出来て漫画に出来ない事は、動きと音の演出。
 例えば割と しょうがないアニメであっても、音楽で ぐわわっと盛り上げれば、何だか感動的なシーンに思えてしまう。
ましてや出来の良いアニメであれば、音楽を乗せる事での破壊力は数倍、数十倍にも増幅される。
 音楽の強力さが伝わってくるのは、この作品が、テーマを中心に上手く構成できているという事。

 姉に変装する憂の違和感無さに、ビックリ。
ちょっと音楽に対する才能がありすぎる、と思える演奏の腕前に、またビックリ。
 これまで、何故 妹は軽音楽部に入らないのか、姉が大好きなのだし、一緒に部活をしたいと思って当然そうなのに…と思っていたが、もしかしてこの「才能」がネックなのかな。
 同じ部に在籍し、他者から姉妹の才能を比べられる、あるいは同じ土俵上で「姉より自分の方が優れている」と理解するのが「嫌」なのかも。
 いや、家事一般も勉強も日常行動も、全てダメダメな姉より自分が優れている事は知覚できているはずで、今更か。

 終わりと思えば、次回、オマケがもう一話。

『東のエデン』最終11話.「さらにつづく東」

 しばらく感想を書いていないウチ、最終回になってしまったので、まとめて。
 ううう~~ん……

 これだけ大規模なゲーム(救世主育成プログラム?)を仕掛ける黒幕は、国家単位でも なかなか難しいと思え、『涼宮ハルヒ』じゃないけど「宇宙人(神に等しい超生命体)」か「未来人」ぐらいかと予想していたが、意外にもその正体は、政財界を影から動かす所謂「鎌倉の老人」。
 んんんん~?
いや、そう言うならそう受け取るしかないが、余りにも古いというか、ありふれているというか。
 この「真実」は、フェイクである可能性もあろうが。

 怒りに燃え暴徒と化したはずのニート達が、すぐ大人しくなったり。
 クライマックスかと思われるミサイル攻撃を、実に簡単な方法で回避したり。
 「予想を裏切る」事は出来ているのかも知れないが、同時に「期待を裏切る」内容とも思えてしまう。
 特に、ミサイル攻撃回避については、もう少し意表を突くような方法を考えて欲しかったなあ。
安易に考えて浮かぶのが、「再度ハッキングし直してミサイルを途中で自爆させる」か「ハッキング、あるいは財力を用い、超法規的に迎撃する」もしくは「ジョニー狩り姉ちゃんも使っていたスーパーイリュージョンでミサイルを消してしまう」といった手だろうから。

 裸のニート達が、冬だというのに全く寒そうにないのは不思議。
色々あって体が鍛えられたから?
 まず自分の携帯を探す…って、そういうモノかなあ?携帯は誰かが充電してくれてた?
 怒りの対象であろう滝沢の言葉で、一斉にミサイル回避方法を書き込み始めるのも、不思議。
 どうも、制作者が頭の中で簡単に考えただけの話を見せられているような気分になり、乗れない。
 滝沢が記憶を消したのも、ここでまた妙な行動を取っているのも、まるで分からない訳ではないにせよ、「納得できる」「感情移入できる」とはとても言えず。

 実は、このゲームの真相は何か、とか、クライマックスのアクション的な盛り上げとか、そういうモノに興味がない作品だったのか。
…それにしては、そこに費やした時間が長いけれど。
 そうだとして、代わるテーマとしては「ヒロインの成長」「ボーイ・ミーツ・ガール」といった所だろうが、この辺りは全く食い足りない。
滝沢も咲も、シリーズを背負える程には魅力的なキャラクターたり得ていないので。
関係の変化も、さして劇的でなく。
 「さんざ考え抜き、人生さえ掛けて作り上げた作品(ミサイル攻撃計画)が、ニートの集団により台無しにされてしまう」顛末を描いている、と捉えると、このクライマックスには別の側面が見えてくるだろうか。

 先の読めないストーリーにはドキドキさせてもらったし、キャラクター達も決して薄っぺらな存在ではなかった(スーパーハッカー・パターンながら、部屋に閉じこもりっきりのパンツ男、というのは面白かったなあ)。
最後まで崩れない高品質な作画は素晴らしく、過度な期待を抜いて、「単にノイタミナの一本」と考えると、これで文句を言うのも贅沢かな。
 しかし……確かに未完であり何にも決着が付いていない上、滝沢が日本の「王様」になってしまい、これからどうするのかとは思わされるけれど、視聴者は劇場版を、しかも二本も、見に行く気になるものだろうか。
個人的には、うーん、厳しい。
 ヨメが羽海野チカの熱狂的ファンなので、引き摺って行かれる可能性はないでもないが。

『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』12.「グンガンの将軍」

 今回はもう、アナキン・オビワンとドゥークー伯爵が一緒くたにレーザー腰縄で繋がれ、非常に情けない姿で脱獄を図る、この絵の面白さに尽きる。
 「最悪の事態を避けるため、やむを得ず手を組む敵味方」というのは良くあるシチュエイションだけど、この作品で、しかもこの取り合わせで見られるとは思わなかったなあ。
 三人による、嫌味と殺意のぶつかり合う陰険漫才が、楽しい。

 ドゥークー伯爵も間が抜けているけど、余りにも見え透いた手に見事引っ掛かってしまうジェダイ二人組のボケ具合は、凄い。
前回、今回と、「失敗を認めたがらないジェダイ」の姿が示されており、「執着を捨てよ」「怒りを抑えよ」等々立派な お題目を唱えようとも、人間(人間外も居るが)そんな簡単に聖人になどなれるはずない、と感じさせる。
 それでも、怒りに燃えて海賊共に復讐することなく立ち去る姿は、立派。
ここで全員を血祭りに上げた所で、意味など無く時間の無駄という判断か。

 せっかくの機会なのに、僅かも分かり合うことなく、当然ながら「勘違いするな、お前を助けた訳じゃない」的な嬉しい展開を迎えるはずなど無いまま(『Episode3』でドゥークー伯爵の悲惨な運命は決まっているし…)、別れていく両陣営。
 助かったか、と思わせて、伯爵による苛烈な報復の対象となりそうで、明るい未来は待っていそうもない海賊達を思わせるラストシーンが、何とも。

 珍しくジャー・ジャー・ビンクスが、正しい方向で活躍した。
そうそう、苛立たせる・アホな行動を取る・構築より破壊方面の才能を持つのが、ジャー・ジャー。
味方ばかりにではなく、敵に対してそれを発揮してくれれば、戦いにも大いに役立つはず。
 動物の行動から間欠泉噴出の時間を察知するなど、意外に鋭い所も見られた。
プロフィール

飛龍 乱

Author:飛龍 乱
HPはこちら。
ですが、現在HPは更新できなくなっています。

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