『仮面ライダーオーズ/OOO』27.「1000と映画と戦闘員」
ムチャクチャやがな(笑)。
平成ライダーシリーズで中盤ぐらいに一度は入る、やりっ放し馬鹿話。
今回は、放送1000回のお祝いと劇場版へ橋渡しする意味もあるか。
ツッコミ所(ワザと設けられた)は多々あって、もう把握しきれないぐらい。
鴻上社長のビルで何気なく働いているショッカー戦闘員…の生き残り?…には笑ったが、映司危機一髪の所を救うなど、意外な人の好さを表現する辺り、何が描きたいのか。
彼がショッカーに加わったのは、「世界征服をしたいから」ではなく、「同じ目的を持つ仲間達と頑張りたかったから」だと気が付く…ようなシミジミ展開もアリ?
突然登場してフォローもなく引っ込む千秋・森下千里らゲストは、劇場版からの流れなんだろうな(千回記念だから、「千」の入った名前のゲストを迎えたのではないか、と掲示板で御指摘いただきました。この次の回でハリ「セン」ボンの二人が出ていたことからも、その通りみたいです)。
バカな内容だけど、アクション部分はきっちり撮ってあって、活躍が格好良く見えるのは嬉しいところ。
後編の更なる弾け方に期待。
ついでに、シリーズここまでの雑感。
バッタヤミー(仮面ライダーに憧れた宿主によるイメージなのか)が登場した話は、印象深い。
「正義のためなら人間はどこまでも残酷になれる」というセリフの強烈さ。
ヒーロー物のカテゴリーで描けるギリギリ(まあ、平成ライダーはかなり脱線した事もやるけど)にまで挑んだ異色作。
「そんな悪いヤツ、イイから殴っちゃえ・二度と悪事を働けないぐらいボコボコにしちゃえ」とかいうのは、割と誰でも考えるだろう事。
どこまでが「正しい力の行使」なのか、どこから「やり過ぎ、自分の方こそが恐ろしく暴力的な存在」に変わるのか、当事者はつい見失いがち。
それは、もしかしたら日常的な暴力行使に慣れた人間より、平和を愛する穏やかなごく普通の人間の方にこそ、顕著に表れる傾向なのかも知れない。
義を見てせざるは勇無きなり、というのは確かに真理なんだけど、「正義のための(気持ち良い)戦い」に懐疑的でいる事も、「正しい」立場に居続けるため、必要だったり。
などと色々考えさせられる、深い話だった。
あと、伊達がキャラとして無用なまでに面白い。
面白すぎて、本来の主役である映司の影が薄くなってしまうほど。
伊達が登場してから、不気味な悪役側の人間かと思われた研究所長・真木が絡まれて「いじられキャラ」と化し、人間的な側面を見せ、お笑い要員に。
後藤も彼と関わる事で一皮むけた感じだし…こういう役回りは、まだ人間的に未完成な映司や、非人間的なアンクでは無理だからなあ。
作品中で最も大人の、頼れるお兄さん。
もしかして伊達は、ナニガシかの疾患を抱え、長く生きられない設定を持っている?(体調検査に応じない所など)
更に妄想だけど、映司が大きな心の傷として抱えている「目の前で失われた少女の命」について、実は誤解で、医師として各国を回っていた際、伊達が瀕死の状態だった少女を助けており、その回復のため巨額の費用…一億円が必要だった、とすると、話がキレイに繋がるんじゃないかなあ、とか。
小さくまとまりすぎ?
平成ライダーシリーズで中盤ぐらいに一度は入る、やりっ放し馬鹿話。
今回は、放送1000回のお祝いと劇場版へ橋渡しする意味もあるか。
ツッコミ所(ワザと設けられた)は多々あって、もう把握しきれないぐらい。
鴻上社長のビルで何気なく働いているショッカー戦闘員…の生き残り?…には笑ったが、映司危機一髪の所を救うなど、意外な人の好さを表現する辺り、何が描きたいのか。
彼がショッカーに加わったのは、「世界征服をしたいから」ではなく、「同じ目的を持つ仲間達と頑張りたかったから」だと気が付く…ようなシミジミ展開もアリ?
突然登場してフォローもなく引っ込む千秋・森下千里らゲストは、劇場版からの流れなんだろうな(千回記念だから、「千」の入った名前のゲストを迎えたのではないか、と掲示板で御指摘いただきました。この次の回でハリ「セン」ボンの二人が出ていたことからも、その通りみたいです)。
バカな内容だけど、アクション部分はきっちり撮ってあって、活躍が格好良く見えるのは嬉しいところ。
後編の更なる弾け方に期待。
ついでに、シリーズここまでの雑感。
バッタヤミー(仮面ライダーに憧れた宿主によるイメージなのか)が登場した話は、印象深い。
「正義のためなら人間はどこまでも残酷になれる」というセリフの強烈さ。
ヒーロー物のカテゴリーで描けるギリギリ(まあ、平成ライダーはかなり脱線した事もやるけど)にまで挑んだ異色作。
「そんな悪いヤツ、イイから殴っちゃえ・二度と悪事を働けないぐらいボコボコにしちゃえ」とかいうのは、割と誰でも考えるだろう事。
どこまでが「正しい力の行使」なのか、どこから「やり過ぎ、自分の方こそが恐ろしく暴力的な存在」に変わるのか、当事者はつい見失いがち。
それは、もしかしたら日常的な暴力行使に慣れた人間より、平和を愛する穏やかなごく普通の人間の方にこそ、顕著に表れる傾向なのかも知れない。
義を見てせざるは勇無きなり、というのは確かに真理なんだけど、「正義のための(気持ち良い)戦い」に懐疑的でいる事も、「正しい」立場に居続けるため、必要だったり。
などと色々考えさせられる、深い話だった。
あと、伊達がキャラとして無用なまでに面白い。
面白すぎて、本来の主役である映司の影が薄くなってしまうほど。
伊達が登場してから、不気味な悪役側の人間かと思われた研究所長・真木が絡まれて「いじられキャラ」と化し、人間的な側面を見せ、お笑い要員に。
後藤も彼と関わる事で一皮むけた感じだし…こういう役回りは、まだ人間的に未完成な映司や、非人間的なアンクでは無理だからなあ。
作品中で最も大人の、頼れるお兄さん。
もしかして伊達は、ナニガシかの疾患を抱え、長く生きられない設定を持っている?(体調検査に応じない所など)
更に妄想だけど、映司が大きな心の傷として抱えている「目の前で失われた少女の命」について、実は誤解で、医師として各国を回っていた際、伊達が瀕死の状態だった少女を助けており、その回復のため巨額の費用…一億円が必要だった、とすると、話がキレイに繋がるんじゃないかなあ、とか。
小さくまとまりすぎ?
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