オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『C』最終11話.「control (未来)」

 自分が経済に疎いせいか、作品としての説明が不足しているのか、最後の方はちょっと分かり辛かった。
 公麿と三國、二人の争っている理由がよく分からず…
 三國の考えでは(客観的に見ても)、未来を担保にしてでも現在を支えなければ他の国がそうなったように日本その物が消失する危険アリ、という事なんだよね?
特定の誰か、例えば貧困層や老人などに負債を押し付ける形にし、彼らを消してしまう事で大勢を守ろうとした、ぐらいなら「倒すべき相手」と考えるのも分かり易いんだけど(不特定な人間に負担は強いていたが)、代案が無いまま…あやふやな物ならあった?…闇雲な行動をする公麿は、余りに無責任に感じられて気持ちを入れるのは難しい。
 「希望を失った人ばかり残って形骸化した国を存続させるより、みんな一緒に消えてしまうべきだ。『このまま何もせん方がええ(日本沈没)』」というなら、理解できるが。
 そう思うのは、自分が年取って、三國の側…体制維持側?の人間になったから、なのかな。

 日本は残ったものの、そこは主人公の見知った(主人公を知っている)日本ではなく、少子化が解消したのか子供が溢れる=未来が多く担保できる世界になっていた。
 ちょっと虚しくも感じられるけど、主人公の未来は奪われた訳でなく、頑張ればきっとここから新しく作っていけるのだろう。
 金融街も残ってしまったし、相変わらず消失の危険はあるように思えるけど…まあ、ここからはまた新たなストーリーか。

 開始当初、面白そうに感じた、資産がパワーになるバトル形式だけど、「なるほど!」「そういう戦い方があったか!」といった感心が無いまま進み、実感にも欠けてしまったため、演出で押してくる部分以外はイマイチ。
 代わりにアセットのキャラクターが良い感じに描けており、特に主人公と、彼の未来を体現するという真朱の関係に引き付けられる所が多く、楽しかった。
彼女は、主人公が考えたように彼の娘なのだろうか。
奥さんの姿…の可能性も。
それなら、焦らなくたって後でいくらでもキスできたね。
 三国が使うQも、ボーっとして表情変化に欠けるのが可愛げで結構。
本気戦闘モードに入るとバケモノ姿になる、ってのも面白かったが、何しろ変貌ぶりがコワイのでオタク層の受けはどんなもんだろ。

 次第に強敵と当たりつつ、どう見てもラスボス然とした三國と、そして真坂木に代表される無限に近い力を持った「金融街」そのものと戦っていくインフレバトル物と単純に予想していたため、ラスト近く、経済恐慌防衛戦に時間を多く割いたのは意外。
 君麿が経済的勝利を収めていくことで羽奈日の歓心を、文字通り「買える」ようになり、しかし虚しさや限界を感じてしまう…として彼女の存在は大きな意味を持つのだろうと思っていたが、それほどでなく。
 よくあるパターンからは外れた物語。
 とはいっても、最後に三國とのバトルが設定されていたし、未来を失った羽奈日は君麿を強く動機付けている。
予想は裏切りつつ期待には応える、なかなか高度なストーリー構成…ヒネてるとも言える?

 江原の子供復活が嬉しい。
大丈夫、ビンボーでも(彼の考える生活レベルに比して、って事で赤貧とは縁なしだろうが)子供とやっていけるよ、子供が居るから耐えられるよ、頑張ろう。
 真朱がとても良いキャラだったから、彼女をヒロインとして…もうヒロインか…素直なポケモンバトル的世界観で、種族を越えた恋愛感情が育っていくお話を見てみたい。
 不思議なハイヤー、「経済活動は生き物であり、戦い」をそのまま具体化する金融街の有り様、未来を形にしたアセットとその強さレベル、現実に流入しているミダスマネー…イメージとして面白いところは多く、多少分かり辛い所があっても見続けさせるパワーがあった。
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映画『SUPER 8/スーパーエイト』

 映画『SUPER 8/スーパーエイト』を見る。
 監督は『M:i:III』『スター・トレック(2009)』のJ・J・エイブラムス。
 スピルバーグ作品にオマージュを捧げた作品、という事で、スピルバーグ自身もなかなか実現できなくなっている映画の楽しさを味あわせてくれる作品に仕上がっているのでは、と期待しつつの鑑賞。

 …そういう期待からは、外れた映画。
 確かにスピルバーグ作品でお馴染みのお膳立てや見覚えのあるようなシーンが並べられるけど、それはそれだけの事。
懐かしかったりはしつつも、「だから面白い」という境地まで繋げられている部分が少なすぎ。

 以下、なるべくボカすけれど、どうしても内容に触れてしまうので、未見の方は御注意。


 「謎」っぽく勿体ぶられる異質の存在に、魅力が薄い。
『クローバーフィールド』は、それも狙いだろうから構わなかったが、全体像を余りハッキリと見せず、フォルムとして捉え辛い姿に気持ちを入れて見るのは難しい。
 行動として、「不思議なボクらの友達」でも「倒すべき恐ろしい敵」でもない描き方が、中途半端に感じられて、うーん。
例えば、町の人を数人殺した後で主人公に出会ったETを…悪辣な人類からの被害者的側面を持った『宇宙戦争』エイリアンを、客はどう思えば良いのか。
 問題提起する作品じゃなかろうに、ここいらはもう少しエンターテイメントとして割り切って欲しかった。

 詰め込みすぎて、消化不良になっている箇所も多い。
 父親世代の対立は物語に余り関係なく、仕事人間なので息子と一対一ではどう接して良いのか分からない主人公父、にまとめて良かったかと。
 タイトルにもなっている、主人公達が偶然撮ったフィルム、その内容確認は遅すぎて無意味になってしまい、事件の進展・解決に結びつかない。
 物語を動機付ける重要な役割だろうに、アッサリしすぎている極悪人の始末。
彼らを最後に片付けることで贖罪・停戦の証にしないと、対立構造が上手く解消できない。
これじゃ『アバター』で悪役の「顔」になっている元大佐が、物語半ばで死んでしまうような据わりの悪さ…その後は誰をどうすれば終わる戦いなのか分からなくなってしまう。
 謎キューブを主人公が持ち帰る事に意味がほとんど無いのも惜しい。
あれを最重要パーツに設定して、謎存在・軍人達両方が主人公を追いかける、辺りが収まりの良いパターンなのに。
 不満点は数多く。

 逆に、良かった所は、とにかく子供らしくバカな男の子達。
デブ(モテない自覚が泣かせる)と爆破マニアチビのキャラクターは素晴らしい。
もうちょっと熱い友情も描けたかと思うけど…まあこれぐらいがリアルか。
 ダメダメな映画撮影の風景。
「凄いモノを撮ってやる・撮っているんだ」という過剰な自負と完成品のギャップ、でも楽しげ(本人達は苦悩している?)な様子から、そういう時代が自分にもあったなあ、と懐かしい気分に。
 だから、『スタンド・バイ・ミー』映画撮影版みたいにして、SFやアクション要素を抜き、もっと家族との葛藤や幼い恋、まだ子供である自分達ではどうしようもない現実の重さを、映画を通して昇華したり受け止められるようになったり、といった物語でも良かったような。

 ゾンビメイクを施されて尚キュートなヒロインには、男の子を命懸けで行動させるだけの価値がある。
 頑張る男の子は、理屈抜きで応援したい気持ちにさせる輝きを放つ。
 心を縛り続ける母親の死と決別するシーンでは、(上手くそこに集約できた物語ではない、とはいえ)ホロリ。
「自分の大切な・楽しかった思い出」を、「辛い事しかなかった滞在」の記憶に加え、持って行って欲しい、という意味が?
上手く伏線にするには、実はキューブが変形して作られていたもので、あれ無しでは全体が機能を果たせない…としても。
それなら共鳴・吸着設定を使う事で謎存在と主人公の出会いも早くできるし…

 この映画はあくまで「男の子が女の子を好きになり、少しだけ成長する」お話であって、SFやアクションはオマケ。
オマケ以上の物を期待すると、ちょっと驚くぐらいの肩すかしを食らってしまう。
 かといって『スタンド・バイ・ミー』と受け取るには「オマケ」に時間を取られすぎていて少年達の彫り込みが足りず、どうにも中途半端。

 『M:i:III』『スター・トレック(2009)』もそうだった…相変わらずエイブラムス作品は、引き付けられる良い所を持ちつつ、全体が荒い。
 駄作と切って捨てられないけれど、傑作とは言い難い、「ジュブナイルとしての佳作」が妥当かな。
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ピーター・フォークが亡くなる

 『刑事コロンボ』のピーター・フォークが亡くなる。
 『コロンボ』は、シリーズを通して何度も見ているのに、放送されているとついまた見てしまう、とても好きな作品。
当時、珍しかった倒叙の推理形式と、練り込まれたストーリー、何より、強烈に傲慢であったり哀れを誘ったりする犯人達を受け止め・受け流しつつねじ伏せるコロンボのキャラクターが魅力だった。

 まるで賢そうに見えないのに実は恐ろしく頭が切れ、うっかりした一言も聞き逃さず矛盾を突いてくる嫌らしさがあり、犯罪を解決することには容赦がない。
しかし優しく、可愛らしく、好きにならずにはいられないチャーミングさを持つ。
 「ロンドンの傘」空港で、荷物を取り違えて女性客に迷惑を掛けオロオロする姿から、間の抜けた部分は演技でなく(演技ばかりではなく)天然。
 「殺意のキャンバス」ラストで追い詰められた犯人画家により描かれた、コロンボの本質を写し取ったのだろう、たまらなく優しい笑顔をした肖像画が印象的だった。
 好きな所とか書き出すとキリがなさそうだな…このキャラクターは、ピーター・フォーク以外では(少なくとも現存するレベルでは)成立させられなかったろう。

 ついコロンボの話ばっかりになってしまうけど、『名探偵登場』のハードボイルドさや、本人役で出演した『ベルリン・天使の詩』、自分はこれが最後に見た出演作である『NEXT -ネクスト-』、日本のCMでバーテンに扮した姿も忘れがたい。

 推理・ドラマ史に永遠に残るだろう名刑事(警部補)を、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。
 「ああ、すみませんもう一つだけ」と言って帰ってきてくれないものかな……
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映画『告白』

 WOWOWで放送された映画『告白』を見る。
 『下妻物語(面白かった凄く好き)』『嫌われ松子の一生(ピンと来ない)』『パコと魔法の絵本(未見)』の中島 哲也監督作品。
 原作未読。
内容について全く知らなかったので、「再生に到る感動作」か「(『どっか~ん!』が印象的なCMから)爆弾の登場する、精神をギリギリ追い詰めたサスペンス」だと思っていた。
 こういうお話だとは……

 冒頭、松たか子演じる女教師の長ゼリフで状況が少しずつ明らかになっていく構成に、感心。
 淡々と、穏やかに、丁寧に語る口調の奥から、次第に覗いてくる狂気。
 色々なキャラクターの口を借りて語られる内容により、ストーリーは多面的に進められていく。
大きく捉えて、この映画は「松たか子教師」か「壊れた男子生徒」どちらかの物語だと言えようか。
二人とも、他の人間との断絶が恐ろしいぐらいに深く、まず分かり合えない所が共通している。
 …女教師の方は、複雑怪奇なようで実は単純な男子生徒を、理解して・読んでいたみたいだけど。
理解が、そう簡単に和解や再生・感動に換わっていかないのが、この映画の一筋縄でいかないところ。

 人間の、主にダークサイドの心理に迫っていく物語は、求心力が高い。
 女教師の冒頭告白シーン最後から、特に後半、恐くて怖くてチワワのように震えっぱなし。
 松たか子コエー。
あの顔がこんなにも恐ろしく・気持ち悪く見えるとは。
『リング』貞子とか『呪怨』白塗りお母ちゃんなんて、彼女に比べたら抱きしめても良いぐらいの可愛らしさ。

 怖さに震えるのは、きっと自分の中にもこの女教師と同じ部分があるから。
ヘラヘラ過ごしている自分の、見たくなかった絶望の深淵を覗き見せられてしまう恐ろしさ。
外的脅威に襲われるより、オノレが脅威に変わりかねない可能性を感じさせられる方が怖い。
 この女教師の立場に追い込まれた時、自分ならどうするか。
娘に何かあったらそりゃもう(以下自主規制)。
 その際、外野から与えられる「そんな事をしても娘さんは喜ばない」的な紋切り型の言葉など、何の効果もないんだろうな、いや一周回ると意外に聞き飽きたそういう言葉が救いになるのか、うーん。

 独自の美学で貫かれた映像が素晴らしい。
 別にふざけたシーンでもないのに「ボヨヨ~ン」とか妙な効果音が付けられるのに、笑ってしまう。
 モロモロ含め、好き嫌いが激しく出そうな映画。
どちらにせよ、一見の価値はあると思う。
 個人的には、劇場の大スクリーンで見せられたら足が震えて帰れなくなってたかも知れないため、テレビで見て正解。
「何が怖いのよう?エンターテイメントじゃない?」と平然と語るヨメがまたコワイ。
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歩行

 娘、部屋の中をトコトコとはずっと前から歩いてたんだけど、何しろ危なっかしく、すぐコケ、スーパーの子供スペースに立たせてみるとすぐ泣き、窮屈だからか靴を履く事にさえ猛烈な抵抗を示すため、もう少し しっかりするまで外を自力歩行させない方が良かろう、車通りが多かったりもするし危険じゃないか、という事で、移動は抱っこかベビーカーで行い、様子を見ていた。
 しかし、いつまでもそのままでは…と思い、昨日 決心して、犬散歩の際に歩かせてみる。
 不安がって泣くんじゃないか、すぐ抱っこをせがむんじゃないか、二十メートルぐらい嫌々歩いてくれれば上出来だなあ、と予想しつつ。

 いや、歩く歩く。
ガッチリとコチラの手を握りしめ、予想外に確かな足取りで歩く歩く。
 不機嫌になることもなく、交通の激しいところや路面の悪い場所などを抱っこで運んだ他は、嫌がらず、何やら喋りつつ全部自力で歩いた。
 こんなに歩けるようになってたなんて!
ここまで体力が付いてたなんて!
 驚きと、感動。
 過保護な親でゴメン。
もっと早く挑戦させるべきだったなあ。

 じゃあ今日も歩行練習を、と思えば雨。
 挫かれるなあ…雨具買ってないので、また明日か。
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『デッドマン・ワンダーランド』09.「酸化促進剤」

 原作未読。
 うーん、無理がある。
裁判が無理だし刑務所の設定も無理、そこでの暮らしぶりや不思議なシロについてほとんど常識的な突っ込みが無い描き方も無理で、特殊能力バトルに持っていくのも……
 現実とは違う世界を舞台にしており、そういう意味での無理はいくらあっても良いんだけど、ただ一回の競技で大量の死者を出し過ぎとか、既に特定され襲撃まで受けている部屋でデッドマン達がまだ反攻計画を練っている不可思議さなど、特殊な設定を踏まえてもよく分からない。

 ただ、そこいらを「そういうものだ」として受け入れてしまえば、とにかく引きが強く、次々に緊張感のあるイベントや裏切られる「既存キャラクターの真実」が語られていくため、この後は・その次はどうなるのか、という興味を煽られ、見るのを止められない。
実際、第一話から見ていなかったこの作品を、9話まで一気に見てしまった。
 不条理な運命、不合理な能力バトル、どちらにもおよそ耐えられそうにない常識的な主人公が、内容への感情移入やハラハラ感を増加させる。
彼にもまあ、一応は刑務所だというのに呼び出しに応じず我が身を無意味な危険に晒してしまうなど、「??」と思わせる部分はあるんだけど。

 強いような弱いようなシロが可愛い。
ほとんどのキャラが信用できない、何かしら裏を持っているこの作品世界で、彼女の真実は恐らく相当に厳しいものじゃなかろうか。
 分からないことは作中に相当量あるんだけど、どこまでが意図された「謎」であり、どこから「ストーリーの都合だから変に思うだろうけど余り気にしないで」なのか不明。
まだ原作は連載中みたいだし、どのみち全ては解明されないのか。

 シリーズ開始当初、凄く高かった作画レベルが、次第に落ちているのは残念。
まだ「悪い」という程ではないが。
 取りあえず、理不尽なストーリーの先を楽しみに見ていきたい。
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恐ろしく間が空いてしまいました

 何をしていたかというと、必死で仕事してました…が…
 すみませんすみませんもっと頑張りますごめんなさい。
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映画『涼宮ハルヒの消失』

 レンタルと、後の放送されたWOWOWで映画『涼宮ハルヒの消失』を見る。
 三時間近くもある長い映画だけど、初見ではダレる事なく一気に見た。
 WOWOW録画鑑賞時は、まとまった時間が取り辛いせいもあり、三十分ぐらいずつ区切って日を分けて見たが、こうするとほとんど負担無く感じられる。
 今更…だけど、テレビシリーズの「エンドレスエイト」を二本程度にまとめ、残り6話に分けて放送すると丁度良いぐらいの内容だったんじゃ。
 劇場用として予算を掛けて製作されたお陰か(京アニはテレビでも手を抜かないが)、特に作画面の充実ぶりが凄く、功罪相半ば、いやこれはコレで良いのかも。
 「エンドレス…」の八回繰り返されるウンザリ感が、長門に発生する機能異常を やむを得ないものとして見る側に伝えてくれるし。

 感想としては、そりゃもう「長門萌え」としか言い様が無く。
彼女を魅力的に描くための映画、と言いきって良いぐらい。
 入部届を返された瞬間に見せる表情の崩れ方は、前後のつながりを無視して見てさえ観客の心をかき乱してくれる程に、入魂の作画!
「ごく当たり前の内気な少女」長門が恋の叶わないことを知る、このシーンこそ映画のクライマックスか。
 声優さんも、通常長門の「超常能力を背景としての無表情」と、今回の「何に対しても自信を持っていない静かな少女」を、さして多くないセリフを通し見事に演じ分けていて、感心。

 タイトルから予想していた通り、ストーリーは、ヒロインが消失し彼女を中心に成り立っていた世界が「祭りの終わり」を迎える意味で、『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』と似ている。
あの映画は、ラムと決別しようとするメガネが白眉で…いや関係ない話。

 テレビシリーズで見せられてきた、アレもコレも伏線だったのか、と思わせられる所があり、唸る。
「笹の葉ラプソディ」は凄く重要なエピソードなのね。
 この映画で引かれたまだ閉じていない伏線もあり…キョンを助けに来たキョンとか…まだ終局には間が?
 かなりカッチリ構成された作品のようだけど、全体について最初にどのぐらい考えて・決めて作り始めたのかなあ(印象的なイベントを、後付けで伏線に用いている部分もあろうが)。
 朝倉涼子の復活が嬉しい。
有能で公平で優しい理想的クラス委員長姿は勿論だけど、異常性を顕わにした所も、恐くありつつ魅力。
長門の部屋でキョンを問い詰め、気持ちを見通すように「ふぅーん」というシーンの表情変化とか、素晴らしい。
どういう世界でもキョンを殺したがるのは、ぐるり回って考えると作中で一番キョンを愛しているからかも知れない……いや違うな。

 今更ながら、ハルヒの第一声「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」という募集要項?のウチ、他は全て集まってきているが「異世界人」だけは居ない、と思っていたけど、キョンのことなのね。
 長門もハルヒも、キョン一人のために世界を作り上げているに等しいところから、うーん、キョンって何者?
そこには何かストーリー的な仕掛けがあるのか、「ごくごく平凡な、この作品を読んで・見ているアナタと変わらない男の子ですよ」が最終的な答となるのか。

 彼が・彼女が居てくれるだけで世界は輝きを増し、不思議と感動と奇跡に満ち、毎日がお祭りのようになる。
そういう相手を失うことによっては、無味乾燥な日常と対面せねばならなくなり、日々は途端につまらなく、灰色に。
 好きになるのは誰でも良かったはずが、一度好きになってしまえば、もう他の誰にも代わりは務まらない。
 恋する相手は、恋をしている期間中に限り唯一絶対の存在。
 相手は、「恋をしている自分の(主観的)世界」を統べる神にさえ等しい。
 他者をどれだけ傷つけても、周囲にどれだけ迷惑を掛けても、ただ彼・彼女との恋の成就のみを願う、その厄介さと面倒臭さと馬鹿らしさと美しさと、どうしようもない人間の業と、だからこそ感じる人の愛おしさ。
 SFのようだけど実は、そういうものを描いてるのかなあ。

 この続きは、またテレビシリーズとして展開するのか、今後は劇場版として作り続けられるのか。
何しろ人気作だから、これで終わり、という事は無かろう。
 恋のため?ハルヒと長門は異常行動を見せた。
後は みくるだけだから、そういう話が作られるのかな…既に時間違反行動を積み重ねているのかも知れないが。


 同人誌で以前、ハルヒがキョンの子供を妊娠する未来の話を考えていた。
その時、使おうとしていたキョンのセリフメモが出て来たので、どうせ描かないだろうし、ちょっと。
 いつ書いたのか忘れたけど、ウチの娘が生まれる前後の事だと思う…としか思えない。
そういう意識がバリバリ。
 作品に合わないとか、キョンはこんなこと死んでも言わねーよ馬鹿、というご意見は尤もですが、まあまあ。
 では、以下。

 子供が出来るっていうのは、宇宙人や未来人や超能力者に会うのと同じぐらい、いや、もっと凄い奇跡だ。
無限の可能性を秘めた「宇宙」を作るのと同じ事なんだから。
 例え自分が生み出した「宇宙」でも、自由に、思い通り出来ると考えちゃイケナイ。
 不安も不満も苛立つこともあるだろうけど、一緒に生きるんだ。一緒に育つんだ。
 親の顔色をいつも伺い、ご機嫌を損ねないか理不尽な目に遭わされないかビクビクしている「宇宙」に育てるな。
お前が逢いたかったのは、そういう相手じゃなく、お前が望んでいたのは、そんな「宇宙」じゃないはずだろう。
 半人前のオレ達に出来る事なんてたかが知れてるが…
一杯笑わせてやろう。
持ってるモノは何でもやろう。
「この親の…母親(ひと)の子供として産まれてきて良かった」と思わせてやろう。
 いつか、生きてここに在るのは幸せだ、と感じて欲しい。
お前と出会えたオレのように。
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『緋弾のアリア』08.「魔剣」

 原作未読。
 小さくて体の凹凸が少なく、ツインテールで高飛車な娘、という、釘宮声で喋ることを前提に作られたとしか思えないヒロイン・アリア。
彼女の魅力で突き進む作品、かな。
 人柄だけで無能…ではなく時々超絶の能力を発揮する主人公少年と、可愛いが厄介な白雪も、面白いキャラではあるが。

 第一話の、とにかく追い詰められた状況から物語を始め、引き込んでおいて、何故こうなったかを順次語っていく作り方は、結構。
 特殊設定・武偵について…うーん、まあ、無理はある。
これが無いと絶対に成り立たない作品かというと、そうでもない気がするけど、この設定一つ納得してもらえれば後はその延長として全部受け入れてもらえるはず、という目論見アリか。

 アクションは、面白かったりそうでもなかったり。
今回なら、沈んでいく白雪の恐怖とか水の冷たさ、流れの強さ、そういう所を描こうとはまるでしていないため、水没が段取りにしか思えず、開放のカタルシスも弱い。
そんな部分より「キスしちゃった」シーンを喜んで欲しい、そこを喜べる層に向けたアニメだ、って事か。
 上手い部分もあるんだけど、全体としては独自の強みに欠けており、「過不足のない作品」という辺りの評価に留まる。
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『電波女と青春男』08.「ツィオルコフスキーの祈り」

 原作未読。
 男の子が女性だけの家庭に同居、そこの娘や、クラスメートの美少女達に囲まれ、楽しい暮らしが始まる…というハーレム物のフォーマットに沿った基本内容ではあるが、メインヒロインとなるステイ先家庭の娘・エリオの強烈さが凄い。
 キャラを印象づけるため、なかなか顔を見せないのは演出テクニックの一つだけど、バリエーションとしても「ずっと布団で簀巻きになっている」アイディアは出てこないなあ。
昔話の、鉢かづき姫を思わせたり。

 足から上が全部布団で覆われて見えない事により、覗く生足の艶めかしさが妙に強調されている。
足フェチには たまらないモノがあるのでは。
 抵抗出来ない(する気もない?)エリオの簀巻き姿は、不埒な妄想を湧き立たせ、「このままで…」の同人誌が沢山出そうな予感。
 そういう彼女が初めて素顔を見せるシーンは、演出・作画共に気合いが入っており、美しい、という感想を主人公と共感できる。
 エリオのキャラクターを立てるため、それだけで一話目はあったと思え、絞り込んだ、上手い構成に感心。

 ただ…これは今に至るもそうなんだけど…
 「布団にくるまっている」事を感じさせる音響フィルターによってエリオの声は聞き取り辛く、しかもその内容が電波なモノだったりするため、余計に理解が難しい。
聞き直しても分からない所が多々あり、まあいいやと諦めてしまう事も。
 主人公も聞き取れていないなら構わないけど、そうでないなら、嘘でも もう少し音声をクリアにしてくれるか、下に字幕を出す、主人公が発言を繰り返すなどした方が…いや、実際そんな重要な事は喋ってないんだろうが。

 エリオ母・女々は、アラフォーにしてせいぜい二十代の容姿を保持し、色気過剰で「からかう」というより「本気で主人公を落としに掛かっているのでは」と思える美女。
 こんな美人に迫られたら、思春期の男の子は迷惑を装いつつも嬉しいはずなのに、主人公の採点で、叔母との接触がほぼマイナス点になっているのがおかしい。
叔母だから女性として見られないのか、年増は一切趣味じゃないのか、視聴者と違って主人公には「年齢に相応しい本当の叔母の容姿」が見えている、あるいは…
言動や行動の危うさ、極限状況にある娘との距離の取り方、自分への露骨すぎる性的アプローチ等々、総合すると「この女性と関わるのは危険」「迂闊に手を出すと破滅しか見えない」と考え、自衛のため彼女との接触を「害」と捉えている?
 同人展開が楽そうなキャラクターではあるけど、楽すぎ、そのまますぎて、かえってエロ妄想が湧いてこず、意外と描くサークルは少ないのかも。

 長身のクラスメート・前川も強烈。
 やたら着ぐるみ姿なのは本人の趣味だろうから良いとしても、世間一般からの乖離っぷりは布団蒸しのエリオとどっこいであり、彼女が忌避される対象となっていないのは不思議。
友達が多そうでなく、みんなと仲良くとは考えていなさそうなので、学校で村八分扱いだが彼女自身が気にしてないだけ?
 時々クラッとしているのは何故かと思えば、虚弱体質なのか。
着ぐるみで動き回るには相当の体力が必要なような……

 流子は…これだけ強烈で、言えば電波気味の女性キャラの中では、普通。
異常さも、目立つ問題行動もなく、まあまあ常識の範囲内に収まる思考形態かと。
 他の「電波女」に囲まれていると、彼女だけマトモに見える。
 といっても、「萌え作品の文法上において」という注釈が付き、実在する女の子の行動としては常道を外れる部分があるけれど。

 作品として、キャラの会話内容が多く「気の利いたもの」になっており、サラッと聞き流せる会話文とは違っている。
これが独自の魅力を生み出しているのと同時に、聞き取り辛い分かり辛いマイナスの側面も。
婆ちゃん(そういや真顔でキャトルミューティレーションを語ったり、婆ちゃんも電波女だ)の友達に関する定義談話なんてのは、結構面白かったなあ。
 作画に時折崩れが見られるようになったのは、残念。
キャラのアップ時はクオリティーを保っているし、これで文句を言うのは贅沢だろうが。

 語り口が上手いかというと必ずしもそう言えず、女々と山本(安代)・婆ちゃんの関係とか舌足らずで物足りない所もあるけれど、不思議な面白さがある作品。
 形式がキレイに整っていても興味を持てない作品があり、少々ガチャガチャしていても惹き付けられる作品がある、このアニメは、個人的に後者。
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