『機動戦士ガンダムAGE』最終49話.「長き旅の終わり」
う、う~ん…前回と同じか更に詰め込みが酷い。
最終回は描くべき事がどうしても多くなり、急な展開があったり消化不良に終わったりしがちではあるけど、これはその中でもずっと不出来な方。
長く…もないのかな?伏線として引いてきたゼラ・ギンス、満を持して、というより「片付けないと仕方ないからとにかく出しちゃえ」ぐらいの勢いで出撃。
新型MSの機能もよく分からないまま、何故かシドと合体し、意味不明な破壊行動を取り始める。
「連邦勢力の殲滅」が最優先で脳に刻まれているため、ヴェイガンの被害を考慮に入れず、地球への「セカンドムーン落とし」を強行するとか、戦争への忌避 感を強くしようとするイゼルカントの意志が彼の中で暴走し連邦・ヴェイガン見境無く虐殺を始める、ぐらいの描き方が妥当じゃなかろうか。
廃棄コロニーをいくつも取り込んだ超巨大なシドが現れ、両勢力を壊滅させようとするのに対し、ゼラを含む人間達は手を組んで対抗しようとする、というのでも、まあアリガチなパターンではあるけど分かり易い。
本編の描き方には、ただポカーン。
この非常事態に対するイゼルカントのリアクションが薄すぎるのも宜しくない。
ゼラは、他者の意見を受け入れず敵味方を危機的状況に追いやり続けた醜悪な自分を映す鏡、とでも取るべき。
ここへの深い反省がないので、現状とキオを受け入れる気持ちの変化が、どうにも薄っぺら。
フリットの変化もまた同じ。
最終的に彼を変えたのは、ユリンなのか…エミリーではなく。
「超現実的に魂が繋がった故の邂逅」「勝手な幻を見ている」どちらか分からないユリンとの会話には、ちょっと笑ってしまった。
キオの主張もまた薄い。
彼が救えたのは、結局ゼラだけ?
ゼラの暴走とセカンドムーン危機があったから、結果的に戦いは収まったが、そうでなければイゼルカントの改心(諦念)は有り得ず、そうなると戦争継続が不可能になるまで連邦・ヴェイガンの戦力が減少する…兵士が死ぬのを待つしかない。
「これ以上、連邦側にだけでも戦死者を出さない」目的のためなら、フリットが取ろうとした行動は合理的。
セカンドムーンに突入し、病床の狂った指導者イゼルカントを殺す、もしくは人質にとって戦闘停止を呼びかける、という汚れ役を引き受けるならまだしも… キオの方法論では、最悪ディーヴァの乗員が全員死ぬことになったって「ぼくは誰も殺さなかった」からオッケーというだけのもの。
「両陣営に大量の死者を出そうとも、生き残った人達が仲良く生きられる未来が有り得るならそれで良い」という考え方は、もしかしてイゼルカントと共通するのかも知れないな。
キオの考えが幼いのは、本当にまだ年若いので仕方ない部分もあるか。
馬鹿が付くほどの愚直さにより彼の考え方が次第に受け入れられていく、または、厳しい現実の前に少年っぽい理想は破られ血まみれになりながらしかし平和 を希求し続けていく、どちらかをドラマとして周辺キャラクターやエピソードでフォローしつつ描くのが、作品というものでは。
話の都合でイゼルカントが彼を受容することにしたから、何となくキオの理想は通ったような感じ、で終わらせちゃ、もう何というか思いつき以上のモノじゃない。
しかしイゼルカントも酷いなあ、ゼハートが後継者じゃなかったのか、ゼラは何のために作ったのか、ストーリーの都合で動いているだけに思え、考えがサッパリ理解できない。
ドタバタと終戦、マーズレイについてもナレーションで片付け、ユリンが心の傷ではなくなったのだろうフリットとエミリー、理由があったとはいえ海賊だったアセムその後の人生、これからが想像し辛いキオ…それらは放り出して、いつも通りのエンディングが流されるのに驚く。
ここでイメージ的に、せめて笑顔のキャラクター達を見せてくれると思った。
ディーンとルウの墓を建てるキオ、セリックの記憶を胸に新造艦艦長として立派な姿を見せるナトーラ、地球に降りたヴェイガン市民の笑顔、戦う以外何も知 らなかったが温かく迎えられ子供のような表情を見せるゼラ、ウェンディとディーヴァに乗艦していた子供達の再会、家族に看取られつつエミリーの手を握りし め穏やかに逝くフリット…
余韻を残すべく見せた方が良いイメージは、多々あったと思うが。
全体に。
一言で表すなら、不出来なガンダムとしか。
何を描きたいのかハッキリせず、テーマ(ご大層なモノに限らず、例えば「ガンダムかっこいい!」だけでも十分テーマ)を絞って、面白く見せることがまるで出来ていなかった。
キャラクターもメカも設定も、魅力的に描けたはずの布陣であり、シリーズ途中にいくつも良い方向に進ませる分岐点があったにも関わらず誤り続け、力足らずを感じさせられるばかりの内容に。
このアニメが「叩き台」「素案」なのであれば、構成を整理することで、作り直して面白い作品に仕上げることは可能だと思う。
…「このままじゃ全然ダメ」を素直に認められる制作者であるなら(未読の小説版は良いらしいし)。
最終回は描くべき事がどうしても多くなり、急な展開があったり消化不良に終わったりしがちではあるけど、これはその中でもずっと不出来な方。
長く…もないのかな?伏線として引いてきたゼラ・ギンス、満を持して、というより「片付けないと仕方ないからとにかく出しちゃえ」ぐらいの勢いで出撃。
新型MSの機能もよく分からないまま、何故かシドと合体し、意味不明な破壊行動を取り始める。
「連邦勢力の殲滅」が最優先で脳に刻まれているため、ヴェイガンの被害を考慮に入れず、地球への「セカンドムーン落とし」を強行するとか、戦争への忌避 感を強くしようとするイゼルカントの意志が彼の中で暴走し連邦・ヴェイガン見境無く虐殺を始める、ぐらいの描き方が妥当じゃなかろうか。
廃棄コロニーをいくつも取り込んだ超巨大なシドが現れ、両勢力を壊滅させようとするのに対し、ゼラを含む人間達は手を組んで対抗しようとする、というのでも、まあアリガチなパターンではあるけど分かり易い。
本編の描き方には、ただポカーン。
この非常事態に対するイゼルカントのリアクションが薄すぎるのも宜しくない。
ゼラは、他者の意見を受け入れず敵味方を危機的状況に追いやり続けた醜悪な自分を映す鏡、とでも取るべき。
ここへの深い反省がないので、現状とキオを受け入れる気持ちの変化が、どうにも薄っぺら。
フリットの変化もまた同じ。
最終的に彼を変えたのは、ユリンなのか…エミリーではなく。
「超現実的に魂が繋がった故の邂逅」「勝手な幻を見ている」どちらか分からないユリンとの会話には、ちょっと笑ってしまった。
キオの主張もまた薄い。
彼が救えたのは、結局ゼラだけ?
ゼラの暴走とセカンドムーン危機があったから、結果的に戦いは収まったが、そうでなければイゼルカントの改心(諦念)は有り得ず、そうなると戦争継続が不可能になるまで連邦・ヴェイガンの戦力が減少する…兵士が死ぬのを待つしかない。
「これ以上、連邦側にだけでも戦死者を出さない」目的のためなら、フリットが取ろうとした行動は合理的。
セカンドムーンに突入し、病床の狂った指導者イゼルカントを殺す、もしくは人質にとって戦闘停止を呼びかける、という汚れ役を引き受けるならまだしも… キオの方法論では、最悪ディーヴァの乗員が全員死ぬことになったって「ぼくは誰も殺さなかった」からオッケーというだけのもの。
「両陣営に大量の死者を出そうとも、生き残った人達が仲良く生きられる未来が有り得るならそれで良い」という考え方は、もしかしてイゼルカントと共通するのかも知れないな。
キオの考えが幼いのは、本当にまだ年若いので仕方ない部分もあるか。
馬鹿が付くほどの愚直さにより彼の考え方が次第に受け入れられていく、または、厳しい現実の前に少年っぽい理想は破られ血まみれになりながらしかし平和 を希求し続けていく、どちらかをドラマとして周辺キャラクターやエピソードでフォローしつつ描くのが、作品というものでは。
話の都合でイゼルカントが彼を受容することにしたから、何となくキオの理想は通ったような感じ、で終わらせちゃ、もう何というか思いつき以上のモノじゃない。
しかしイゼルカントも酷いなあ、ゼハートが後継者じゃなかったのか、ゼラは何のために作ったのか、ストーリーの都合で動いているだけに思え、考えがサッパリ理解できない。
ドタバタと終戦、マーズレイについてもナレーションで片付け、ユリンが心の傷ではなくなったのだろうフリットとエミリー、理由があったとはいえ海賊だったアセムその後の人生、これからが想像し辛いキオ…それらは放り出して、いつも通りのエンディングが流されるのに驚く。
ここでイメージ的に、せめて笑顔のキャラクター達を見せてくれると思った。
ディーンとルウの墓を建てるキオ、セリックの記憶を胸に新造艦艦長として立派な姿を見せるナトーラ、地球に降りたヴェイガン市民の笑顔、戦う以外何も知 らなかったが温かく迎えられ子供のような表情を見せるゼラ、ウェンディとディーヴァに乗艦していた子供達の再会、家族に看取られつつエミリーの手を握りし め穏やかに逝くフリット…
余韻を残すべく見せた方が良いイメージは、多々あったと思うが。
全体に。
一言で表すなら、不出来なガンダムとしか。
何を描きたいのかハッキリせず、テーマ(ご大層なモノに限らず、例えば「ガンダムかっこいい!」だけでも十分テーマ)を絞って、面白く見せることがまるで出来ていなかった。
キャラクターもメカも設定も、魅力的に描けたはずの布陣であり、シリーズ途中にいくつも良い方向に進ませる分岐点があったにも関わらず誤り続け、力足らずを感じさせられるばかりの内容に。
このアニメが「叩き台」「素案」なのであれば、構成を整理することで、作り直して面白い作品に仕上げることは可能だと思う。
…「このままじゃ全然ダメ」を素直に認められる制作者であるなら(未読の小説版は良いらしいし)。
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