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『機動戦士ガンダムAGE』最終49話.「長き旅の終わり」

 う、う~ん…前回と同じか更に詰め込みが酷い。
 最終回は描くべき事がどうしても多くなり、急な展開があったり消化不良に終わったりしがちではあるけど、これはその中でもずっと不出来な方。

 長く…もないのかな?伏線として引いてきたゼラ・ギンス、満を持して、というより「片付けないと仕方ないからとにかく出しちゃえ」ぐらいの勢いで出撃。
新型MSの機能もよく分からないまま、何故かシドと合体し、意味不明な破壊行動を取り始める。
 「連邦勢力の殲滅」が最優先で脳に刻まれているため、ヴェイガンの被害を考慮に入れず、地球への「セカンドムーン落とし」を強行するとか、戦争への忌避 感を強くしようとするイゼルカントの意志が彼の中で暴走し連邦・ヴェイガン見境無く虐殺を始める、ぐらいの描き方が妥当じゃなかろうか。
 廃棄コロニーをいくつも取り込んだ超巨大なシドが現れ、両勢力を壊滅させようとするのに対し、ゼラを含む人間達は手を組んで対抗しようとする、というのでも、まあアリガチなパターンではあるけど分かり易い。
 本編の描き方には、ただポカーン。

 この非常事態に対するイゼルカントのリアクションが薄すぎるのも宜しくない。
ゼラは、他者の意見を受け入れず敵味方を危機的状況に追いやり続けた醜悪な自分を映す鏡、とでも取るべき。
ここへの深い反省がないので、現状とキオを受け入れる気持ちの変化が、どうにも薄っぺら。
 フリットの変化もまた同じ。
最終的に彼を変えたのは、ユリンなのか…エミリーではなく。
「超現実的に魂が繋がった故の邂逅」「勝手な幻を見ている」どちらか分からないユリンとの会話には、ちょっと笑ってしまった。

 キオの主張もまた薄い。
 彼が救えたのは、結局ゼラだけ?
 ゼラの暴走とセカンドムーン危機があったから、結果的に戦いは収まったが、そうでなければイゼルカントの改心(諦念)は有り得ず、そうなると戦争継続が不可能になるまで連邦・ヴェイガンの戦力が減少する…兵士が死ぬのを待つしかない。
 「これ以上、連邦側にだけでも戦死者を出さない」目的のためなら、フリットが取ろうとした行動は合理的。
 セカンドムーンに突入し、病床の狂った指導者イゼルカントを殺す、もしくは人質にとって戦闘停止を呼びかける、という汚れ役を引き受けるならまだしも… キオの方法論では、最悪ディーヴァの乗員が全員死ぬことになったって「ぼくは誰も殺さなかった」からオッケーというだけのもの。
 「両陣営に大量の死者を出そうとも、生き残った人達が仲良く生きられる未来が有り得るならそれで良い」という考え方は、もしかしてイゼルカントと共通するのかも知れないな。

 キオの考えが幼いのは、本当にまだ年若いので仕方ない部分もあるか。
 馬鹿が付くほどの愚直さにより彼の考え方が次第に受け入れられていく、または、厳しい現実の前に少年っぽい理想は破られ血まみれになりながらしかし平和 を希求し続けていく、どちらかをドラマとして周辺キャラクターやエピソードでフォローしつつ描くのが、作品というものでは。
 話の都合でイゼルカントが彼を受容することにしたから、何となくキオの理想は通ったような感じ、で終わらせちゃ、もう何というか思いつき以上のモノじゃない。
 しかしイゼルカントも酷いなあ、ゼハートが後継者じゃなかったのか、ゼラは何のために作ったのか、ストーリーの都合で動いているだけに思え、考えがサッパリ理解できない。

 ドタバタと終戦、マーズレイについてもナレーションで片付け、ユリンが心の傷ではなくなったのだろうフリットとエミリー、理由があったとはいえ海賊だったアセムその後の人生、これからが想像し辛いキオ…それらは放り出して、いつも通りのエンディングが流されるのに驚く。
ここでイメージ的に、せめて笑顔のキャラクター達を見せてくれると思った。
 ディーンとルウの墓を建てるキオ、セリックの記憶を胸に新造艦艦長として立派な姿を見せるナトーラ、地球に降りたヴェイガン市民の笑顔、戦う以外何も知 らなかったが温かく迎えられ子供のような表情を見せるゼラ、ウェンディとディーヴァに乗艦していた子供達の再会、家族に看取られつつエミリーの手を握りし め穏やかに逝くフリット…
余韻を残すべく見せた方が良いイメージは、多々あったと思うが。

 全体に。
 一言で表すなら、不出来なガンダムとしか。
 何を描きたいのかハッキリせず、テーマ(ご大層なモノに限らず、例えば「ガンダムかっこいい!」だけでも十分テーマ)を絞って、面白く見せることがまるで出来ていなかった。
 キャラクターもメカも設定も、魅力的に描けたはずの布陣であり、シリーズ途中にいくつも良い方向に進ませる分岐点があったにも関わらず誤り続け、力足らずを感じさせられるばかりの内容に。
 このアニメが「叩き台」「素案」なのであれば、構成を整理することで、作り直して面白い作品に仕上げることは可能だと思う。
…「このままじゃ全然ダメ」を素直に認められる制作者であるなら(未読の小説版は良いらしいし)。
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映画『魔法にかけられて』

 録画してあった映画『魔法にかけられて』を見る。
 ディズニー映画。
魔女の罠に落ち、手描きアニメのお伽噺世界から、実写の現実世界に飛ばされてきたお姫様が巻き起こすドタバタを描くコメディー。

 悪くはないにせよ、「この設定だとこういうストーリー展開になるかな」という予想から、欠如したところはあっても、過剰であったり上回るところが無く、物足りない。
 「結婚して二人はいつまでも幸せに暮らしました」で終わるのが絶対だったお伽噺ヒロインが、現実で離婚しようとしている夫婦に出会うあたり、凄く面白くなりそうなのにアッサリ片付けられすぎていて不満。
 男性の弁護士設定もさして意味を持たないし。

 現実に、別段問題のない婚約者を持つ男性が、偶然出会ったお姫様に惹かれていく…この三角関係が見所。
しかし、「どうしてそういう気持ちになるのか」の理由付けがお伽噺レベルで、恋に恋する訳でもないオッサンが素直に納得するのは難しい。
まあ、「ファンタジーと現実の落差を描く『ファンタジー』」だと受け取るべきか。
 邪魔なキャラの片付け方を恐ろしいぐらい割り切っており、伏線も心情変化も追わず「何にせよ幸せになったんだからイイでしょ?」というぐらい投げ出していて、いっそ心地良い。

 頭カラッポで見られる(見るべき)ハッピーな映画だから、ヨメにも見せようかと思ったけど、姫様の歌に応じて大量の鳩やネズミに混じり、排水溝から大量の「G」出現シーンがあって、アレをこの世で最も苦手としているヨメは絶対見られないと思った。
野良犬・猫・お化け、何を出しても良いが、「G」だけは勘弁って女性、多いと思うのに、なんで使っちゃったかなあ。

『機動戦士ガンダムAGE』48.「絶望の煌めき」

 え?あと一話で終わりなの?
それはムチャだー、と思ったけど、今回は、どうにか片付けるべく最も楽な「殺す」形で、人員と背負った背景の整理を猛スピードで進める。

 前回、セリックを犠牲にしてまで砲撃したことによる戦局の変化は、どんなもんなんだろ?
見る限り連邦に有利になったとも不利になったとも思えず、相変わらずの乱戦模様。
 砲撃で敵の戦列に穴が空き、本拠地・セカンドムーンへと至る道が開かれる。
そこへとガンダムを先頭に突っ込んでいくディーバ、後を追う連邦部隊…という見せ方があれば、一閃で片が付くこともあり、ゼハートによる、味方を犠牲にしても行おうとするディグマゼノン砲攻撃に説得力があったろうに。
 ゼハートが、ガンダム・ディーヴァをそうまでして仕留めようとするのは、世界観が「スーパーロボット物」だからなのか。
ガンダム一機で戦況などガラッと変えられそうだし。

 一部隊を費やすならともかく、フラム一人にガンダム・ディーヴァを足止めさせようとするゼハートの判断は酷い。
ヘタすれば三世代のガンダムが出てくる訳で、彼女にそこまでの戦闘力がないのは明かだろうに。
ゼハート、どうせ汚れるつもりなら、「停戦交渉をしたい」として艦船を接近させ、油断したところを…とでもすれば(ファーストをなぞることにもなる)。
 ディーヴァからの退艦には、もう少し感慨が欲しかったかなあ。
艦長が「艦と運命を共にする」と騒ぐ、オペレーターが「この艦は一人じゃ動かせませんよ」などといって付き合う、といった愁嘆場が皆無なのは、逆に気持ち良いぐらいだけど。

 何かやりそうなのに、実質ほとんど活躍ナシのレイル哀れ。
 フラムと差し違える形で最期を迎えるオブライトは、まずまず死に花を咲かせたと言って良いのか。
レミが迎えに来てくれる幻覚でも見ると、泣かせだったろうが。
同時にフラムも幻を見てるし、あんまり重ねるのもうざったいけど。
 しかし、唱えるお題目とは裏腹に、人の生死にまるで関わらない・関わらせてもらえないキオはどうしたことなんだろ。
せめて「突撃して助けようとするが多数の敵機体に邪魔されて(不殺を貫く効率の悪さもあり)動けない」ぐらいの描き方をすべきだろうに。
その場に赴き、言葉を尽くして戦闘停止を訴えるもどちらにも通じず、目の前で命が失われることにより、キオの苦悩や成長が描けるんじゃないのか。
どうにも「面倒なことを言うキオが絡むと話がヤヤコシくなりそうだから、遠ざけておいた」事情ばかり透けて見えてしまう。

 何だかついでに片付けられるザナルド。
ヴェイガンに大きな混乱を起こす重要キャラクターだと思ったが。
 逆上して自ら戦場に出るゼハートにビックリ。
冷静さを失っているためか、パイロット能力もレギルスの性能もまるで発揮できず、アセムにより瞬殺されてしまう。
…フラムの奮戦の方が、まだ時間を掛けて・愛情を持って描かれていたような。
 ゼハート…アセムとの学園生活を思い出すのは良いとして、イゼルカントの期待に応えられなかったこと(この司令能力欠如が期待通り?)、フラムら部下を無駄死にさせたことを、もうちょっと悔いたらどうか。
 まあ人間、追い詰められると、楽しかった昔の思い出に逃げ込みたくなるモノだけど。

 あと片付いてないのは…イゼルカントとクローン?、フリットの憎しみ、EXA-DBとガーディアンMS、こんなところか。
地球の大半を制圧していたヴェイガン勢力はどうなった?とか、まだ取りこぼしは沢山ある気がするけど、そこまで描く気力も時間もあるまい。
 ディーヴァと共に、AGEビルダーは破壊されたのかな。
半壊しつつも製造機能は健在で、キオの「戦いを止めたい」気持ちを受け取り、戦場での大量破壊兵器使用を困難にする物質を精製する。
レーダーを使用不可能にするその粒子の名前は……
AGEビルダーは、今でも宇宙のどこかで、その粒子を撒き散らし続けているということです(海を塩辛くする石臼みたいに)。
 ハッキリ破壊される場面は描かれなかったので、その内側に未完成の「ガンダム最終モード」を内蔵して漂流している可能性も…そんなの描いてる時間がないか。

 次回を見てからまた、だけど、月面基地攻略戦、ゲストキャラのジラード・スプリガンなんかにゆっくり時間を掛け、重要だったろうキャラクター達をバタバタッと、さしたる意味も持たせず片付けてしまうのは、構成の失敗と言うしか。
 そんな難しい話じゃなくて、各話の内容をざっと書き出してみれば、「48話でキャラが一度にこれだけ死にます」というのはバランスを欠いていると、誰でも分かりそうなもの。

『機動戦士ガンダムAGE』47.「青い星 散りゆく命」

 『鉄人28号』に出て来たモンスターのような、世界観の違いを感じるMSに乗って出撃してきたゴドム。
大丈夫か?と思うデザインとは裏腹に、強い強い。
 今回、猪突猛進型であるこのMSの利点と欠点が描かれ、それを正確に見抜いたセリックにより適切な対応が取られていて、考えた跡が嬉しい。
 アセムが目指していたはずの「スーパーパイロット」こそ、こういうものであって欲しかったかな。
超越的パワーに頼らず、機体性能にも過剰に寄りかからず、鍛えた操縦技量と長年の戦闘経験で培われた目・判断力により、旧人類であろうともXラウンダーと変わらず、いやそれ以上の戦果を上げることが出来る、といったような。

 セリックの健闘は、見応えのあるものだった。
…が、所謂「死亡フラグ」の呪縛からは逃れられず。
 行動不能に陥った機体が、母艦による起死回生の攻撃を阻害してしまう。
妙なところに機体が引っ掛かったなあ…は良いとして。
 キオ、バーストモードを使えばサアッと助けに行けたのでは?
他の人達はMSパイロットまで事態を把握していたっぽいのに、キオだけ知らされていない様子なのは何故?
 キオが持つ「不殺」の理想と、厳しい現実を対比させるチャンスだったのでは。
セリックの元に駆けつけようとするキオだが、AGEの前にディーンのMSが立ち塞がる。
猛攻にAGEは動きが取れず、しかし超高速で動き回るディーンの機体にはピンポイント攻撃が難しく、コックピット直撃の恐れがあって身がすくんでしまう…とか。
 セリックを死亡させ一段落したところで、次はディーンのエピソード、といった描き方では効果が薄い。

 ナトーラ艦長とセリックの会話が泣かせる。
恋にまでも発展することはなかった二人の関係だが、ナトーラは彼を忘れることはないんだろうな。
 恐ろしく辛い決断を迫られる局面、ここでこそフリットが出て来て欲しいモノ。
艦長に代わり砲撃命令を出し、死刑を執行するようなその発射スイッチまで自ら押し、艦内の嫌悪感や憎しみを全て引き受けて。
「これが戦争だ!」「キオ!お前の甘さがセリックを死なせたのだ!目を覚ませ!」「私も…自分の弱さで大事な人達を殺してしまった、だから、もう躊躇わない!」
 それは、ディーンを殺されたことで逆上し、怒りのままにザナルドの命を奪おうとしたキオの気持ちと直結し、キオによる祖父への理解と、復讐の塊となって振るう力の恐ろしさ、ギリギリで攻撃を思い留まる理性、それらを深くしたと思うのに。

 物語として必要だったのは分かるけど、フォトンブラスターがディーヴァにしか搭載されていないのが不思議。
ディーヴァって、現連邦の中ではさして重要視されていない戦艦だったような(AGEシステムを重用しないのと同じく、連邦の無能さか)。
 月面基地攻略の脅迫材料にしたミサイル?があったはずなので、それを一斉発射し、一発でも要塞に当たれば足りそう。
 要塞前面にバリヤーが展開されているとか、砲撃以外の時は要塞が透明化しているとか、それに対応した攻略法を考えられる戦場にすると良かったかなあ。

 ディーン、戦う背景が弱すぎる。
彼の家に尋ねてきていたのが連邦ガンダムのパイロットだと周囲に知られる→内通者の嫌疑を掛けられる→自分だけならともかく、妹を裏切り者呼ばわりするのは許さない→ガンダムを撃墜しない限りセカンドムーンに帰らない・帰れない
戦時中だし、このぐらい追い詰めても良かったろうか。
 さして強くもなく、キオと少々お話ししただけで背後からザナルドに撃たれ、死亡するディーン。
…存在感が薄いなあ。
 洗脳され、記憶を書き換えられてキオを憎悪し、改造XラウンダーとしてAGEを苦しめる、ぐらいのことはやって欲しかったけど、もう話数がないのか。
 まだ消化しなければならないエピソードやキャラクターが詰まっているだろうから。

『じょしらく』09.「しりとてちん」「上野のクマ」「ねごと」10.「唐茄子屋楽団」「新宿荒事」「虫歯浜」

 9話「ねごと」
 異常事態の提示から原因の判明、欲望に任せた周囲の暴走、その果てに訪れる破滅まで、キレイに出来上がったお話で好み。
 魔梨威の寝言から起こる様々な吉事に対し、彼女の影響で変えられているのが世界ではなく、夢の産物でしかない自分達自身ではないか(自分達をも含む世界そのものが夢か)と不安に思い始める引っ繰り返し方が凄い。
 「寝言では良いことばかりを言う約束」があるように見せて、最後に「そんな約束していない」とばかり恐ろしいことをポツリと呟き、誰も居なくなってしまうブラックなオチも素晴らしい。
他の女性陣を夢見ている魔梨威、彼女もまた「胡蝶の夢」に過ぎず、その終わりを願ったことで彼女達全てが消えてしまったモノか。
 「芝浜」かと思ったよー、「また、夢になるといけねえ」というか「恐ろしい夢を見ちゃいけねえ」であり更に「自分達みんなが夢と消えちゃいけねえ」。
この落語の題名は、10話「虫歯浜」の方で使われてるけど。
 この作品(原作者)らしい内容、シリーズ最終回でも使えそうなラストだった。

 10話「新宿荒事」
 ロフトプラスワン、一度も行ったこと無いので…あんな建物なのか。
 途中からの剣呑な新宿イメージは、看板だらけのビル上空に飛来する兵員輸送機とか、押井 守版『攻殻機動隊』を思い起こさせる。
暗視ゴーグルがあると、更に「らしい」んだけど。
 そういえば新宿も昔から相当に変わったなあ、と感慨。

 「虫歯浜」
 心の痛み止めを処方された以外の人間が飲んで、狂躁状態になってしまうネタ…
いいのかコレ?「アメリカネズミ」とか、もう怖いモノ無しだなあ、いや笑ったけど。

『機動戦士ガンダムAGE』46.「宇宙要塞ラ・グラミス」

 決戦を前に緊張を隠せないナトーラに対し、声を掛けるセリック。
セリックの死亡フラグ…かと思うけど、そう見せて女性の方を殺すオブライト-レミのパターンもあるから油断できない。
 ナトーラの、艦長職への慣れとまだ残る不慣れさ加減が、素質に大きな疑問がありつつ実戦をくぐり抜けてきたキャラとして、妥当。
成長を彫り込むエピソードそのものは足りていないけれど、時間経過に比しては納得できる範囲。

 ザナルドにわざわざ通信を送り、ゼハートへの助力・忠誠を求めるイゼルカント。
うーん…敵愾心を煽って内乱を起こさせようとするイゼルカントの計略か、と思ってしまう。
 イゼルカントの妄想を実現しようとする(そんな強い意志はないのかな…)ゼハートに、これまでヴェイガンが被ってきた無用な被害の責任を全て負わせ、「ヤツの狂った野望が全ての原因」として殺し、イゼルカントあるいはその正統な後継者は無垢なまま支配者の席に居座り続ける、という計画なら凄い。
無理がありすぎるプランだけど、このアニメなら実現も不可能じゃないような。

 そもそも、なんでゼハートに全権を委ねたんだろ。
ザナルドでも能力は似たようなモノだろうし、キオ誘拐など成功させた功績があるのに。
 イゼルカントには、フリットのような「敵は皆殺し」といった思想が無く、逆に「敵に限らず味方にさえ犠牲を出しつつも、理想人のみを残さねば(作り出さねば)ならない」という考え方なので、能力値が高くない残念な人間に指揮を執らせた方が良いのかな。

 キオが考える平和への道程は、ヴェイガン兵士を殺さずMSなど兵力だけは壊滅させて戦闘継続を不可能にし降伏させるか和平に持ち込むつもり、なのか。
 連邦勝利がその終着点となりそうで、戦いもせず負けを認めろって話に乗ってくる敵兵士は(普通)そうそう居ない。
 戦闘中の敵に停止を訴えるなら、まず自分の武装を全部解除して見せるべき。
全然誠意が感じられない。
 妄執に突き動かされるフリット、家族も捨て理想?に走るアセム…キオも彼らとそう変わらず、「暴走して、やりたいことをやっているだけ」なのか。
 出撃したディーンとの関係変化、生と死の結末によって、キオの夢が実現可能か試されそう。

 ヴェイガンの艦隊も空域に居るから、ラ・グラミスの強力な砲撃は使われないと油断していた連邦。
…フリット編では、ヴェイガン、死を恐れない・仲間の死を何とも思わない兵士に描かれていたような。
 すぐ無人と分かってしまう雑な戦艦の運用。
志願兵を艦内に残す、遠隔操縦するなど、もう少し丁寧に扱えば良いのに。
 ただ、前述のようにヴェイガンは勝ちすぎてもイケナイため、作戦に迂闊なところを残し敵に生き残るチャンスを与えるには、これで正解か。

 ちょっと不満はあるけど頭を使った作戦が展開され、AGEとレギルスが光の筋になって激闘を繰り広げる様子は絵的に面白く、ゼハート謀殺を狙うザナルドの介入、ディーンの参戦など、後半はなかなか盛り上がる内容だったと思う。
話数が少ないので一気に片付けにきた、とも言えるが、突然の新キャラでもたせたり意味の薄い話を挟んだりするより、ずっと良い。
 この後は、テンションを落とさず最後まで駆け抜けて欲しいもの。

『人類は衰退しました』09.「妖精さんの、ひょうりゅうせいかつ」10.「妖精さんたちの、ちきゅう」

 アニメ化にあたり原作の順番をシャッフルしてある、という話は聞いていたけど、この十話が最初のエピソードと理解して良いのかな?
ヒロインが赴任してくる様子、妖精とのファーストコンタクトを描いてあるので。

 他の話もそうだけど、この九、十話は特に、妖精達の驚異的技術力とおバカさん加減、突き進む情熱と決意と飽きっぽさ、対する人間の責任感と無責任、優しさと見渡す視点の高さとやっぱりおバカさん加減を余すところなく描いてある。
 妖精達、お菓子が大好きなのに自分達で作れないのは、何か意味がある?
通常の食料から都市国家まで、あっという間に作り上げてしまう技術力を持ちながら…
 必要不可欠な(…と自分達が考える)モノは作成可能でも、趣味嗜好品に関しては作る理由が分からない、ということ?

 「個」が存在しないのか名前を持たず、また必要とも感じていなかった様子で、しかしそれは「要らない」とイコールではなく考えてもみなかっただけであり、もらえるとなれば長い行列を作ってでも名付けて欲しがる。
個人で名前を所有する欲求を動機付けてくれる者が、これまでは居なかった、ということなのか(名付けられてもすぐ忘れるようだけど)。
 無駄なモノを作って・消費して喜ぶのは、人間特有の個性なのかも知れないなあ。
いや、妖精達も漫画読んだりしてた…とはいえあれも、人間達が楽しんでいる対象を模倣し、舞台は整えても娯楽本質の創造は人任せにしていたが。

 高度な文明を作り上げながら一夜にして瓦解させる妖精達。
 何を目標とし、どのような方法でそれを実現させていくのか、明確なビジョンを持たないのが妖精と人間の差。
…と言おうと思ったけど、人類社会だって猛スピードで進む文明進化の先に何を見据えているのか、ハッキリ分かっているとは思えないなあ。
 大した事を出来る訳でないヒロインに対し、女王様やら神様扱いする妖精に笑ってしまったけど、考えてみれば人間が仮定する神だって、(宇宙を創造したとか死後の世界を支配するとか確認不可能なこと以外)そんなに大した事してくれる訳じゃない。
 妖精に地球を任せてしまって大丈夫?と思うが、より知的な生命体からすれば、人間に地球を任せるのも酷く不安なことだろう。
 信じて委ねるしかないのかな。
悪意がないところだけでも、妖精は人間より上等。
…でも、妖精間にイジメとかあったな(笑)。

映画『ダークナイト ライジング』

 映画『ダークナイト ライジング』を見る。
『バットマン ビギンズ』からの三部作、完結編。

 クリストファー・ノーラン監督は、「現実」の切り取り方が独特。
『インセプション』なんか、昨日見た夢みたいな理不尽内容だけど、この「現実」感覚で観客には不思議とリアルに感じさせてしまう。
 バットマンだのジョーカーだの現実離れしたキャラクターが跳梁跋扈する有り得ないゴッサムシティーを、だから他の監督達は、「嘘を混ぜても違和感がないぐらい嘘に満ちた世界」として描いてある。
 しかしノーラン監督は、キャラそれぞれにちょっと理屈っぽすぎるぐらい裏を付け、「それなら無いでもないか」と思わせる方法で来る。
いや実際はそれでも「無い」んだけど、あるかも、と感じさせるのが腕。

 何でもアリのデタラメではないが、リアルに押される訳でもない、ハッタリの効いたアクション演出は今回も健在。
飛行機内で、カーチェイスで、見応えのあるシーンを展開してくれる。
 アン・ハサウェイが可愛く美しくて嬉しい。
キャットウーマンのイメージではあろうが、『キャッツアイ』を連想。
恐るべきスタイルの良さと、無骨なバイクを乗り回す華麗さに魅了される。
 しかし、「見るからに良い子」なので、敵か味方か…というハラハラには欠けるかな。

 後は、何を書いてもネタバレになってしまう。
面白かったり興味深かったりする部分は、大半がラストに直結する要素なので。
 一応改行して…



 このへんから。

 今回、街を壊滅の危機に陥れる融合炉。
別に悪党がロシアから手に入れた核爆弾とか、そういう設定でも良かろうに、急にそんなモノ作ってしかも厄介なことになる話の運びはどうだろ?と思ったけど…
 これは、バットマンだ、ということなのね。
 街のためであり、「闇を払うもの」として作り出されたはずなのに、それ自体の存在が最悪の危険をもたらす。
 今回は、悪党に利用される武器類も、大きなモノはバットマン…ウェインの会社が所有していた。
彼が居なければ、強力な武装を整えていなければ、ここまでの事態にならなかったかも知れない。

 今回の悪役は、恐怖のカリスマで悪党達を統率し、バットマンを打ち破るパワーや計画性を持ちながら、影が薄い。
ベインなど、まさかと思われる形で退場してしまうし(絶対に再登場すると思ったが…)。
 彼らがこの映画で担っている役割は、「恐るべき強敵」というより、「バットマンの存在にタイムリミットを設けること」。
 バットマンは、自分自身の存在により、常軌を逸した悪が街に流れ込んで来ることを知る(前作…一作目から理解していたか)。
それでも、義務感、いや復讐心?悪を許すことが出来ない「常軌の逸し方」により、前作で登場したモノマネ・バットマン達を一切認めず、一人戦い続けてきた。
 そんな彼が、誰でもバットマンになれると語り、自身こそ危険なのだと悟り、己に重なる融合炉と共に消え去ることを選ぶ悲劇が、今作の骨格。

 ラストシーンは…現実か、幻か。
アルフレッドの叫びが胸に迫るせいもあり、現実であって欲しい。
 ゴッサムシティーに悪が絶えることはあるまいし、「バットマン」の戦いも終わらないだろうけれど、それはもう、ブルース・ウェインの戦いではない。
「戦いと縁を切って愛する者と穏やかに暮らす」ことこそ、彼にとって厳しい、過酷な毎日になるのかも知れないが。

 実は疑問点が多々あるし、不満なところもあるが、バットマンそしてブルース・ウェインの死と再生を描くテーマ性の高い作品として、深く満足。
 ここまでハッピーに感じられるエンディングが、『バットマン』という作品に有り得るとは思わなかった。

 根強く人気があるシリーズなので、再度仕切り直して始めるんじゃなかろうか。
 今度は、『ブレイブ & ボールド』のように割合真っ直ぐで元気なバットマン像にするか…
老齢のブルース・ウェインが若い新世代バットマンにアドバイスを与える『ザ・フューチャー』形式なら、この映画と何となく繋がりそう。
プロフィール

飛龍 乱

Author:飛龍 乱
HPはこちら。
ですが、現在HPは更新できなくなっています。

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