参加された方、お疲れ様でした。
自分の本を用意できてないと、コミケはやっぱり寂しい…夏にもスペースが頂けましたら、必ずや新刊を。
今年は娘に手が掛かってしまい、アニメ視聴・日記更新の時間がなかなか取れず、ここを訪れて下さった皆様に申し訳ないことをしてしまいました。
来年は、もう少しマシな状態に…したいものです。なるといいなあ。
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本日はコミケ三日目。
今更の告知ですが、東イ41a・白昼書房で参加します。
ただ…カゼを引いて体調を崩したこともあり、新刊は間に合いませんでした……すみません。
お立ち寄り・お声を掛けて下さる方。
喉を痛めて声が出づらく、マトモに受け答えできないかも知れませんが、何ら悪気はないことをお含み置き頂ければ有り難いです。
お気楽コメディーアニメとして中盤まで見て来たが、後半は結構なシリアス度合いだった。
六花が中二病にかかった(自分でそうなる事を選んだ)原因を巡り、なかなか重いドラマ展開。
「中二病だ、ということまで含めてその人。認めて・認められる関係を一つでも築けるなら、そのままで良い」
「いつか、誰でも現実に向き合わなければならない時が来る。痛みを越え、しっかりと本当の世界へ歩き出すべき」
どちらでもテーマになり得たし、感動的に描けそうであり、悪くない。
どうしたいかは、もう作り手の考え方次第。
この作品では…うーん、ちょっと中途半端な終わり方だったようにも。
中二病、というものについて、現実で最も問題になりそうなのは「日常生活への支障」だと思う。
周囲との会話が成り立たない、忌避される、より内に籠もる、といった悪循環が発生しがち。
しかし、劇中で六花は別段クラスメートから嫌われているように見えず(人気者でもなかろうが)、あんな言動でもコミュニケーションは取れているようで、こんな優しい環境下にあるなら「中二病で居続けて何か問題が?」としか。
元中二病だった主人公と、六花の関係は、現実を受け止めて生きることで上手く行く、というものではない。
かといって、双方が中二病である方が幸せかというと、必ずしもそうでなく……
どういう形が最も良い終わり方であったかは、難しい判断。
恐らく視聴者一人一人に違った答えがあるのだろう。
この作品での…六花の中二病は、現実と自分の間に距離を持って(感じて)しまった人間が、自身にとって扱いやすい形に現実の認識を変容させることで、それを埋めようとする心理機構。
そこを代わって埋められるのが「恋」ということだろうけど、その恋の相手である主人公がそもそも中二病の発症原因であり、彼の彼女に対する望みは「現実 に帰れ」でも「中二病でいて」でもなく、「六花らしくあって欲しい」だろうから、スッキリした終わらせ方にするのはなかなか困難。
また、六花に続けて完治の様相(フリ?)を見せる凸守、六花から見事に症状を伝承するくみん等、作品内で「中二病」そのものの定義が怪しくなるような所もあった。
とか、考えれば考えるほど迷路に入り込むみたいで、容易に「こうだ」と断じきれない作品。
現実を歪めてバトルフィールドにしてしまう演出が素晴らしく、対比して現実のショボさ(勇ましく巨大武器を振り回す六花が、実は腰が引けた情けない姿で 傘を振っているだけとか)にも笑わされ、他のアニメで「能力者同士の壮絶バトル」が繰り広げられるたび、「ああ中二病中二病、どうせ現実では…」とか変な ツッコミをしてしまう副作用も。
ヒロイン・六花が素晴らしく魅力的で、引き付けられる。
最後まで主人公を好きに「ならない」、ハーレム拒否の森夏も良かったなあ。
バカだけど気の良い誠、くみん・凸守も可愛くて好きだけど、まだ彫り込んで魅力アップできたはずと思うと惜しい。
この作品を、好きか嫌いかと言われれば、文句なく好き。
出来が良かったかと言われると、まだ答えが出ない。
もう少ししたら、最初から全部見直してみたいな。
WOWOWで映画『ワイルド7』を見る。
望月三起也原作の傑作漫画を実写化したもの。
昔、テレビシリーズとして実写化されたこともあるが…主題歌以外、ほとんど覚えてないなあ。
う~ん、酷い。
原作ファンとして、監督らはちゃんと漫画を読んだのか、面白い部分を多少なりと理解できていたのか、疑問。
七人の描き分けが無く、個性を生かした活躍もほぼ無し。
特殊バイクの魅力は薄くて、バイクアクションへの拘りも無い。
シチュエイションを徹底的に活用し、頭を使って危機また危機を切り抜ける、原作の痛快さなど皆無。
「とにかくバンバン銃を撃つ」「正面から突っ込めば後は何とかなる」こんな見せ方だけじゃ…
続編を睨んでの都合もあるんだろうけど、危なくなったら抵抗せず降参して生き延びるワイルドの弱々しさにも、ガッカリ。
単にアクション映画として見ても、飛葉の恋愛、セカイの親娘愛など、時間を無駄にしているとしか思えない余計な要素のお陰で、物語が恐ろしく薄っぺらい。
ワイルドのメンバーがさっぱり凶悪に見えず、特に飛葉のミスキャストぶりは、演じた瑛太が可哀想になるぐらい。
せめて「飛葉が罪を犯すに至った経緯」だけでも、きちんと映像化すべきだったのでは。
セリフでちょっと説明したから良いでしょ、って?
単純ではあるが、今回の事件と飛葉の過去を繋げる方法もあったろうに。
深田恭子は、キャラとして消すか、もっと活躍させる手だったと思うけど、眠っているウチに最後の事件が片付いており、肩透かし。
悪のボスに憎々しさが足りず、事件の解決もスカッとしない。
期待していなかったから、取り立てて失望したということはなく、まあ普通に時間の浪費をした気分。
最終話、臆面もなく冒頭から『『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のパロディー…というより、学園祭準備で狂躁状態の学内風景をそのまんま新作画で流していた。
原典からヒネったネタを入れることで笑いになるんじゃないか、そのまま過ぎるのはどうだろ、と思いつつも、センスのない無理な笑いを入れられるぐらいならこの方が良いとも思え、懐かしさにうっかり喜んでしまう。
このアニメその物は、最後まで名前も覚えないキャラが多いぐらいの集中力で見ていた。
「ボケていて可愛い」という範囲を遠く過ぎ、ゾッとする狂った思考と行動を示すストーカー女教師は面白かったかな。
漫画やアニメに、異常な女教師はよく登場するけれど、なかなか例がない程に女性キャラとしての魅力商品化を一切目論まない、潔い造形。
毎回、一作品のアニメ(特撮)パロディを中核に、三十分一話を構成する、珍しい内容の作品だった。
パロディと言っても、多くは今回のように「原典そのまま」を見せており、キレイにヒネってある訳でなく、上手くストーリーに絡められていたかも疑問だが…「次は何がネタ?」を楽しみに見続けられたのは、事実。
一般視聴者への訴求力は分からないけれど、自分のようなオタクジジイには、それなりに効き目があったということか。