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『サーバント×サービス』最終13話.「これで良し 明日につなぐ 楽しい職場」

 ルーシーが、自分の名前に関する根源的な怒りを抱く区役所職員は、長谷部の父だった。
考え得る限り最もヤヤコシイ所にいた「犯人」で、なるほどー、そういう手もあったか。
 更に、過去に父親が示したいい加減な応対は、幼児長谷部の病気が心配で業務に身が入らなかったため、ということを原因としており、長谷部を苦しませる要因満載。
 恋愛成就を阻むシーズン最後のハードル、それへの苦闘がなかなか可笑しかった。

 登場キャラクターについて幸せな恋愛への可能性を見せながら、入り組んだ(という程でも無いけど)人間関係により自由な動きがとれなくなっており、上手くいきそうでいかないもどかしさを面白さに繋げて見せてくれたアニメ。
 個性豊かな男女の日常は、眺めているだけで楽しかったな。
 特に、ルーシー、千早、ウサギ課長が好き。
課長は、第二シーズンがあったら、人間体を表すのだろうか…いや、フツーにオッサンだろうしそんなに見たい訳じゃ無いが。
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『宮河家の空腹』

 全く知識無く見始めたため、「あれ?『らき☆すた』新作?」「何でタイトルが違うの?パロディー作品?」「オープニングで『らき☆すた』レギュラーが出てるし、続きなのは間違いないだろうけど…」「ええっ?監督が山本寛?なんか酷い言われようで『らき☆すた』監督を降ろされ、京都アニメーションとも縁が切れてるんじゃなかったっけ」「制作会社、京アニじゃないの?んんー???」
大混乱。
 本編に入り、覚えの無い姉妹が中心になって進む内容で、また混乱。
 Wikipediaなど読んで、ようやく大筋の事情を理解。
 しかし…山本寛監督かぁ…思い切った人選というか必然というか。
原作者の意向であるとか、そういう事情もあるのかな?

 中身は、可愛い姉妹の可愛いビンボーネタ。
 おしゃれな服を着ているし(キレイな作画なので余計そう見える)、姉は無駄遣いしまくりだし、身につまされるような辛い貧乏ではなく。
 姉の方、アニメイトでバイトするより、メイド喫茶とかもっと容貌を生かせる仕事に就く方が稼ぎは良いような。
…そういう所も含め、ノンキなアニメ。
 爆笑するほどではないが、クスッと笑いぐらいはチラチラ起こる、罪の無い内容。
 「街で会ったらハンバーガー程度いくらでもおごって上げるのにー」と思わせるのは、好感を持てるキャラクターだからか。

 山本監督、近頃は『戦勇。』とか短編の仕事が多いような。
 来年の『Wake Up, Girls!』を、楽しみと不安で待ちたい。

『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』最終13話.「さよなら絶望学園」

 事件が起きて、それについての捜査パートがあり、集めた証拠を持ち寄っての学級裁判に入る…ゲームとしては『逆転裁判』に似た内容なのかな。
 この作品での伏線、情報提示などから、自分は事件全貌を事前に推理することが難しかったけれど、「そうだったのか!」と真相で驚かせるよりも、アクの強いキャラクター同士の掛け合いを楽しませる構成だったと思う。
 犯人であることを暴かれたキャラが豹変し、普段と落差のあるヒドい顔でヒドい事を喚き始め、それがお仕置きで無残にも断罪される解決パートは、実際、面白くできていた。

 学園全体に隠された秘密は、予想が当たったり外れたり。
世界で発生している破滅的事象について、こんなに説明がないとは思わなかった…まあ、どうであろうと重要じゃないんだろうが。
 声を含み、モノクマが一番強烈なキャラクターだったな。
しばらくは、大山のぶ代がドコかで陽気な声を出しても、ドラえもんよりコチラの悪意に満ちたイメージを思い浮かべてしまいそう。

『ガッチャマン クラウズ』最終12話.「Collage」

 オリジナル『ガッチャマン』から、かけ離れた内容だった新作、完結。
 説明不足なのか、意図して視聴者の想像・理解に委ねようというのか、CROWDSとは?ベルク・カッツェとは?J.J.とは、パイマンとは、はじめとは何だったのか?疑問が残る。
いや、設定は分かるんだけど、しっくりこないというか納得には届かないというか。

 ラストで、カッツェは、はじめに吸収された?
その決着に至る過程が省略されていて、突然すぎるので、ポカーン。
 友愛・調和・希望を生み出す はじめと対決したカッツェは、計画を台無しにした根本原因である彼女を自分が最も好む「不幸」状態にするべく、体内に潜り込んだが、彼女から主導権を奪う ことはできず、カッツェにとって最悪の牢獄ともいえる はじめの体内に留め置かれ、共に生きることを強要されてしまった…とか、そういう感じ?
「はじめの邪悪なコピー」と化したカッツェだが、当然拒否し、怒りや憎しみを向けてくると思った本物・はじめが全てを受け入れたことで、融合して一人の「はじめ」になってしまった、のかも。
 はじめは、従来型バトルヒロインとは大きく違うキャラクター造形になっているので、「許さない、カッツェ!」と初めての怒りを表明し、殴り合ってパワーで相手を消滅させる…ような「正しい」決着に至らないことは、納得というか必然であろうと思うけど。
 前回、総集編的なパートが長く挿入されたことと、時間が足りないのは関係あるのかなあ。
しっかり描かれたものを見たかった。

 カッツェは、ネット上なんかでよく見る「荒らし・煽り・悪意を吹き込んでくる人間」なのね。
責任感皆無(他者になりすましていたし)で悪行を働くこういう相手は、対決して倒すのがなかなか困難。
本編でも描かれたように、「無視」が最も有効な対抗手段だろうか。
 ネットで考えると、自身で余り動かないJ.J.は、プロバイダーか掲示板等「場」の提供者・責任者、という所かな。
 ガッチャマンは、場を乱す異分子を排除する管理係。
 削除という方法によらず、理解や面白がることで異分子をも受け入れて見せたのが、はじめ。
 CROWDSを規制せず広く持たせたままにする…というのは、米の銃規制問題に寄せて考えると危険な気がするけど、「ネット上の平和はネット参加している全員で維持する」と捉えれば、同意できなくもない。

 よくあるパターンに乗せておらず、パターンをひっくり返した構成ですらない、なかなか難しい内容の作品だったが、上手く裁いて独自の面白味を出すことに成功していたと思う。
 はじめは、12話じゃ収まりきらないぐらい魅力的なキャラクターだったな。
 続編があるなら、はじめが内側から毒を垂れ流すカッツェと対話しつつ、新敵・ゲルサドラやエゴボスラー伯爵と戦う(また戦わない)内容になるのだろうか……もう無いとは思うけど。

映画『グレイヴ・エンカウンターズ2』

 衛星で放送された映画『グレイヴ・エンカウンターズ2』を見る。
 精神病院の廃墟で起きる怪異を撮影に行ったチームが行方不明になった(全員死んだ)、前作の続きを、嘘ドキュメンタリー形式で描く。

 前作を見た、映画学校に通う若い衆が主人公。
彼らが、前作はフィクションか本当にあったことなのか、調査を進めていく構成。
 ちょっと悪質なのが面白く、「撮影後、前作俳優たちは行方不明。その一人の母親に会ったら認知症だった」「前作はフィクションで、監督は会社の(無能 な)アルバイト二人だということにした」「俳優の家族には、お金を払ってやったら喜んで沈黙を誓約した」などなど、ヒドい扱いに笑ってしまう。
 廃病院に辿り着くが、警備員に追い払われ、それでも諦めず潜入を試み…辺りまでは結構引き込まれる。

 しかし、肝心の怪奇現象が起こり始めると「前作と同様」であり、ガッカリ。
ボアーと口開けた化け物が追いかけてくるところなんて、お馴染み過ぎて笑ってしまったり。
 見えない霊?が、人間に代わりカメラを持ち上げて撮影までしてくれるのは…親切だなあ。
 凄くイヤ~な気持ちにさせるラスト。
ホラー映画だからコレで良いのかな…このイヤさ加減をサッパリと解消する更なる続編も作れそうだし。
「病院の外も安全ではない」設定にしたから、続きはどうにでもできそう。

『きんいろモザイク』最終12話.「きんいろのとき」

 ふわふわの、ひたすら心地よいアニメで、嫌な気持ちにさせられることなど無く、作画の安定感も相まって、ぽえーっと見終わってしまった。
 後からレギュラーに加わったカレンとか、必要ないのでは…?とも思ったけれど、邪魔になる存在ではなく(そんなにタイトな内容でもないし)、彼女は彼女で可愛いからオッケー。

 最終話、クラス替えの困難を乗り越え友情を育む少女たち、という図式で一度エンディングまで流して物語を閉じておきながら、それはそれとしてミュージカルを始めるのにビックリ。
「その後の話」ですらないのね、一年生の教室だったから。
 これも楽しくできていたし、別段文句を言うようなことでもないんだけど、せめて前半と後半は入れ替えた方が最終話らしくなったんじゃなかろうか。
 第二シーズンがあるなら、『ひだまりスケッチ』のごとく時系列に沿わない形でエピソードを語る構成になります(だから進級も卒業もあるかないかは制作者次第)、という宣言だったり…しないな。

映画『[アパートメント:143]』

 衛星で放送された映画『[アパートメント:143]』を見る。
 超自然的な現象が多発するアパートの一室を訪れた調査チームは…
 部屋のアチコチに監視カメラを取り付け、その映像を編集した形式の、『パラノーマル・アクティビティ』型嘘ドキュメンタリー映画。

 恐怖に怯えるばかりの一般市民ではなく、それら研究を専門とするチームの視点から事件を描いており、だから「何が何だか分からない」じゃなくて原因への仮説が色々と立てられるのは新機軸。
 出し惜しみせず、割と最初の方から異常現象が起きるので、飽きずに見られるのも有り難い。
 後半、現象が派手目になってくれて、地味な(予算をケチったような)画面を見慣れた身には嬉しい。

 ただ…やっぱり『パラノーマル…』の後追い映画、という評価を超えるものではない。
異常であったらしい一家の母親を「魔女」と仮定すると、ホントに『パラノーマル』になってしまいそう。
 ラストの意味がちょっと分かり辛いけど、まあ真面目に考え込むような内容じゃなし。

映画『パラノーマル・アクティビティ4』

 衛星で映画『パラノーマル・アクティビティ4』を見る。
 四匹目のドジョウ…日本版も入れれば五匹目?…を狙う、シリーズ新作。
 過剰なまでに多数のカメラで家庭内を延々撮影し、時々怪奇現象が起きるというお馴染みの構成。

 今回は、PCに付けたWebカメラや携帯が多用され、見えない霊の存在を探るべくXboxの?モーションセンサー・ライトを使っているのが工夫。
 「動体反応をサーチ」できるメカなんて、ご家庭にある訳ない、と思ったけど、そうかー、ゲームの機材を利用する手があったとは!感心。
 Webカメラも、台所のPCにまで取り付けている(ノートに最初から付いてた?)のは不自然だが、ハンディカムなどより遙かに安価なはずで、現代的。

 ストーリーは無用に分かり辛い。
これまでのシリーズで行方不明になっていた男の子=隣の無口な子、だと思わせて…というひっくり返し方など、疑問点が多すぎて理解不能。
 娘のボーイフレンドが毎度毎度、勝手に家に入ってウロウロしてるのは、アメリカじゃ普通のことなのかなあ。
自分があの家の父親なら、ブン殴って追い出すけど。
 シリーズを重ね、さすがに超常現象がラストだけでは地味すぎてもたないためか、途中でチョイチョイ異常を起こす。
そうなると今度、「こんな明確な怪奇現象が発生しているのに何もしない主人公一家はアホなの?」という疑問が。

 相手の首をあり得ない角度にグリンと回して殺す、ジャック・バウアーのような超絶殺人技が今回も披露され、繰り返しギャグのようで笑ってしまう。
前作のババア魔女軍団が若返って(美女になって)一瞬だけ登場。
どうせなら、ビジュアル的にこちらの方が嬉しいな。
 このシリーズは「中盤過ぎまで中だるみ、終盤でたたみかけて一家皆殺し、消化不良な部分を残しつつ次作へ続く」というのが毎度のパターンになっており、さすがにボチボチ大きくテコ入れが必要では。
 地味なのはもう飽きたから、超能力を使い、殺人技にも通じた魔女軍団が警備厳重な施設に侵入し、個別にカメラを装備した警察突入部隊(『REC2』みたいか)や海兵隊と激しい戦いを繰り広げる「今度は戦争だ!」、を見たいなあ。

映画『スター・トレック イントゥ・ダークネス』

 カーク船長時代の『スター・トレック』シリーズ第一作をリメイクする劇場版、二作目。
 『スター・トレック』サーガは知的なイメージで売っている。
でも劇場版となればスクリーンに映えさせるべくスケールアップし、派手にして多少はドンパチもせねばならず、その違和感と不慣れさばかり感じさせるバトルシーンのたどたどしさで、これまでほとんどの映画は余り評価できない内容になっていた。
 それを払拭したのが監督J・J・エイブラムス。
前作で「カークもスポックも若返らせたから、バカでもいいじゃーん」ということなのかどうなのか、考え込まずバタバタ慌ただしく走り回って力業で事件を解決してしまう、スピード感のある作品に作り替えてしまった。

 その勢いは今作でも健在。
 パワーに溢れていて、見る者はグイグイと画面に引っ張っていかれ、気が付くと終わっている。
 この設定ナニ(特に新型魚雷)?どうしてこんなことしてるの?投げっぱなしのアレは結局どうなった?疑問点は山ほどあるんだけど、まあ意図して「知的イメージ」を捨てた新シリーズだし、思い返せばこれ以前の映画でも結構不自然なところはあったか。
 カークとスポックの友情がクローズアップされており、旧来のファンには嬉しい。
 他乗組員にもそれぞれ見せ場が用意され、前作よりキャラクターが深化している。
 アクションに継ぐアクション、落ち着きのない画面(とにかくキャラがよく走る)、二転三転するストーリー(予想通りではあるけど)…「若さ」が強く感じられ、楽しい。

 憎しみに憎しみを返す事で、連鎖が止まらなくなる悲劇。
「9.11以降」を感じさせる。
どうせなら関わる全員に、ごく親しい者を殺された怒りが設定されていると分かり易かったかな。
 知識無しでも問題なく見られるけれど、昔からのファンであれば「あっ!」という所が色々に用意されていて、嬉しがらせる。
 三部作として次作でこのシリーズが一段落するなら、エンタープライズを降りるカークに代わり、新たに赴任する艦長が(この世界での、若い)ピカードだった…とか、そういうのも見たいな。

『宇宙戦艦ヤマト2199』を見終わって、つらつらと考えたこと

 ネタバレもあるかもなので、ご注意。

 オリジナル版で、イスカンダルからの帰途にあったヤマトに追いすがってきたデスラー艦との、空間磁力メッキを用いた戦い。
あれは、つい「出た!真田さんの『こんなこともあろうかと』珍発明」とか「後のシリーズで扱いに困る便利すぎる武装だよねえ」などと思ってしまうが(実際 そうでもあるんだけど)、「我々は戦うべきではなかった、愛し合うべきだった」とする、テーマを語る古代進のセリフを受けたものなのね。
 あのセリフを経た後、デスラー艦に砲撃を加えたりましてや波動砲をブチ込んで撃破するのは宜しくない、テーマを台無しにしてしまう。
だから、「なお悪意を向けてくる相手は、自ら放った悪意ゆえに滅びた」描き方になっている。

 空間磁力メッキを、戦艦前方の空間に任意の形状で発生させる事により、波動砲をいくつもの筋状に分散させるアンドロメダの「拡散波動砲」が可能になっているんじゃないかなあ。

 その発明をした真田さんは、『2199』では「古代守と友人だった」こと以外、過去について余り触れられておらず、体験した悲劇によって科学を「屈服させるべき敵」と考える複雑な内面は、無いのね。
 ここいらは、リメイクに必要ない設定と考えたのか、真田さんをより知りたい人はオリジナルを見てね、というコトなのか。

 『2199』地球には芹沢ら主戦派が生き残っていると思われ、ヤマト帰還、地球環境回復の後は、アンドロメダ艦隊を組織して不思議ない。
 そういえば、ガミラスに対し先に戦端を開いたのは地球、という重大事について、その後はほとんど触れられなかったような。
ガミラス艦隊は侵略目的で訪れていた・地球(ヤマト)は無用な攻撃破壊を行わないことを態度で示した・ガミラスはもうそんな些細な事に拘ってられる状態 じゃない…責任追及を回避できそうな事柄はあるけれど、どうしても扱いが難しい設定であり、ただでさえ詰め込み過ぎて消化不良な部分が多い中、最初から無くした方が良かったのでは。

 映画『完結編』で、死亡した沖田艦長を再登場させる理由として「死んだと思ったけど誤診だった」と言われる事に多くのファンはのけぞったモノだが、『2199』世界ではそれは必要ないな。
何せ便利なシロモノがあるから…死体の存在が絶対条件でなければ、ドメルもサーシャも復活可能じゃなかろうか。
 この後『さらば…』的なヤマト乗員ほぼ全滅のイベントを経た後でも、更に続編を作るなら「生き返らせました」で済む。
 というかスターシャ。
女王ならイスカンダルをかつての活気ある姿に甦らせれば良いのにねー。
今作のスターシャは、母星の悲劇をどのぐらい憂いているのか分からないけど(昔のイスカンダルを嫌っていたそぶりさえあるし)。
プロフィール

飛龍 乱

Author:飛龍 乱
HPはこちら。
ですが、現在HPは更新できなくなっています。

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