オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『selector infected WIXOSS』最終12話.「その選択は…」

 少女たちがそれぞれの願いを掛けてゲーム…戦いを繰り広げてきた本作。
 負けた場合、願いが叶わないだけで終わらず、願ったことが「倍返し」でマイナスになり失われる、という、なかなか考えつかないイヤな罰を設けた。
自分に関わる望みが切実であればあるほど悲劇の度合いは深くなる、大変良く出来たシステム。
 友達を欲していた一衣…彼女から、既に存在していた友達の記憶が奪われ、「友達」に関わる事柄に近づこうとすると激しい痛みに襲われる。
可哀想すぎて引き込まれてしまう、この辺は本当に上手かった。

 ゲームに勝った場合にも素直に望みが叶うのではなく、「願った本人はゲームのカードになってしまう」「ルリグが自分に替わり(自分として)現実に戻り、夢を叶える」驚くべきゲームシステム。
自分以外の存在が、その者の望みだった訳でもない「夢」を現実にする様を、しかも側で見続けられる訳でもなくそうなったのだと知るだけ(見続けさせられるのもかなりな悲劇か)って、誰が得する話なんだか。
 『魔法少女まどかマギカ』インキュベーターの方が、願い事に関しては素直に叶えてくれる分、まだ救いがある。
 何となく、昔、多額の賞金が懸かったクイズ番組を一生懸命見ていた自分に、母親が言った「そんな勝ったって見も知らない人がお金持ちになる、ってだけの番組見て、何が面白いんかね」という言葉を思い出したり。
 他者への怒り・憎しみから生じた願いであれば、それが果たされる限り、執行者は誰であろうと余り関係ないのかな。

 これだけイヤなことが多いシステムだと、素直にセレクターに伝えてはゲーム参加をためらう可能性が高く、そのため「ルリグは恐ろしい条件を隠して・騙してセレクターを戦わせている」イヤな話に。
タマは裏側を知らないようだし(彼女も特殊な成り立ちを持つルリグなのかな)、ウリスは全てを伝えており(伊緒奈が察した?)、一様ではないけれど。
 誰かに、ネットなど通じてこのマイナス要因を暴露されたら、ゲームそのものが成り立たなくなりそう。
でもまあ、「噂話だと本気にしない」「それでもなお勝って叶えたい望みがある」セレクターを選べば、続行可能か。
大規模にゲーム存続を危うくする者に対しては、記憶消去・現実改変など、ゲームマスター(繭?)からの介入も有り得たり。

 「負け三回で罰ゲームになるが、勝利条件は必ずしも明確でない」「敗者も再度ゲーム参加できる場合がある」「罰として消された記憶も蘇る(残っている)ことアリ」…システムがちょっと分かり辛い、というか、ストーリーに応じて変えられているような印象。
二期に続くため、これから詳細が明らかになるかも知れないけれど、ルールはシンプルにした方が分かり良かったかな。
 伊緒奈の願いは、「自分を負かした相手のルリグになること」?
でも、願いはルリグが替わって叶えるはず…そうではなく「セレクターはルリグに、ルリグはセレクターになる」だけが絶対条件であり、それに反しない望みはそのまま叶うのか。

 『まどかマギカ』が12話構成だったことを思えば、刈り込んで一期で完結させることも不可能ではなかったような。
 ルリグになった伊緒奈とるう子のコンビは、逆に面白そうだなあ。
押し出された格好のタマ、ドコに行ってしまったのか。
 るう子の祖母はともかく、兄と母親はまだ絡みが弱く、色々に使えそう。
 予告にも顔出していたから、また登場するんだろう晶。
歪んだ性根が面白かったので、楽しみ。
彼女がタマを使役することになったり。
るう子とバトルしてルリグ伊緒奈を痛めつけられれば、彼女の気持ちは満たされる?
いや、るう子が望みを叶え、伊緒奈が(アイドルとは無縁そうな)るう子の姿になった方が嬉しいのか…
 見事な構成に唸る、ことは余り期待せず、キャラクターの行く末に興味を持って二期を待つのが吉だろう。
スポンサーサイト
アニメ | コメント:0 | トラックバック:0 |

映画『藁の楯』

 地上波で放送された映画『藁の楯』を見る。
 予告編を見て、なんか面白そうな題材だなあ、と思った以外、監督が三池崇史だということも知らない状態で鑑賞。

 いや、結構楽しめた。
特にテレビで見る分には、さして文句のない出来。
 最初の方で非常に有効だと描かれた防弾チョッキを主人公以外着ないとか、危険だと分かっているはずの清丸に油断しまくりの「有能」SPたち、余りにもあんまりな蜷川との対面シーン等々、そりゃ問題は多いけど。
ハリウッド大作アクション映画でも、これぐらいトボケたリアリティーレベルの作品は少なくなく、まあ日本映画としては頑張ってる。
 「藤原竜也が悪役を演じている」という以外、受け取れない清丸は、さすがにキャスティングに問題を感じてしまうが。
しかし、いかにもなブサイク異常者顔の役者を使った場合、リアルにはなっても集客に悪影響が出てしまう恐れがあって、難しい所。

 これは「みんな大事な何かを失ってしまう物語」なのね。
 主人公の妻が最後に残した言葉について、こういう真相は余り見た覚えがなく、頭にガツンとくる。
亡くした者の意思を正反対に受け取る主人公と蜷川の対決は、そういう意味では面白かった。
もう一押しあると、説得力が増したかなあ…でも「蜷川が亡き孫の幻を見る」なんてことやっちゃ、台無しだし。

 緊迫感のある前半に比べ、後半はテーマに流れ、弛緩してしまったような印象。
「面白い」だけで終わらせられれば、エンターテインメントとして完成度を上げられたかと思うけれど、ここいらが日本人の生真面目な所か(三池監督ではあっても)。
 タクシー運転手を演じた余 貴美子の、金に人生を流されない気骨ある有り様は、清々しい。
フッと消してしまうにはもったいないキャラクター…それだけに、居続けさせたらテーマも何も全部一人で喋ってしまう恐れがあったのかな。
映画 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |