この時期に放送開始って、かなり変則的な。
全6話みたいだから、他アニメが一クールの半ばを迎えている時点で始めれば、終わるタイミングは揃えられるのか。
「HoneyWorksによる「告白予行練習」「初恋の絵本」「ヤキモチの答え」を中心とした楽曲シリーズ・プロジェクト」であり「HoneyWorksはニコニコ動画にてVOCALOIDを使ったオリジナル曲を発表しているユニット」らしい(Wikipedia)。
映画『ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜』『好きになるその瞬間を。〜告白実行委員会〜』に続く映像化作品、両作未見。
ごくスタンダードな青春物。
メインとなる男女に特異な設定を付けることなく、映研・美術部といったお馴染みの部活を中心にする物語は分かり易い。
友人関係にも問題などなく、ほとんどストレスを感じず見ていられる。
作画は整っており、ヒロイン・その周りの少女達も可愛い。
描かれるキャラ達と同じ高校生辺りを対象年齢としているのだろう、素直な作りは決して悪くないけれど、ヒネた視聴者にとって物足りないのも確か。
対象の絞り込みとしては、ジジイに喜んで見られるようじゃ失敗と言っても良いのかな。
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今シリーズでは初めて、キノの師匠が登場する話。
相棒…同行者?男性を拘束された師匠が、国家警察相手に大暴れする。
本気になると恐ろしい厄介な師匠に手を出すな、ぐらいの内容で、もう一つピンと来なかったけど……
ああ、権力と人数を笠に着る小悪党では、何も背負わず向かってくる格の違う「大悪党」に勝てない、ということなのね。
師匠は面倒に対処しただけで、後の人達のために国を正そうとかは考えていないと思う。
キノが「迷惑な国」において示した行動と同じく、降りかかる火の粉を払っただけ、だろう。
ただそれだけのことにも、人は意味を求めてしまう。
彼女は「正義」であり、自らの身を危険にさらしてまで国を正しい姿に導いたのだ、と
当時「悪」側に身を置いていた男が、老人となり、それを他人事のように語っていて可笑しい。
優しく受け取れば「人は切っ掛けさえあれば正道に戻れる」ということにも思えるけれど、「正しさなんてその時々で変わる、人は誰でも自分がその正しい方に居たと考えたい」とも。
師匠達が立てこもったのは時計塔。
その通り、時を味方に付けて、悪徳警察の態度変化を待った。
大きな時の流れまで見据えていたとしたなら、自分達の評価がいずれ変化することまで分かって……?
しかし師匠。
警察にバズーカや大砲、戦車などがあれば、砲撃で塔ごと葬られていた恐れもあるような。
相手の戦力を正確に把握しての行動かな、あるいは飛来する砲弾も狙撃できるぐらい超絶の腕前を備えているとか。
帝国による、泥クジラ住民への無差別虐殺は、サミの余りに呆気ない最期を含み、なかなかトラウマ物の悲惨さ。
アニメでは『エヴァンゲリオン』劇場版での、戦略自衛隊によるネルフ突入・職員殺戮シーンを思い出す(関係ないけど、ネルフは一応公的組織なのだし、あれはゲンドウを解任するか遠距離出張を命じ、その間の代理司令をゼーレか国連が任命、ネルフ上層部メンバーも多少の時間を掛けて降格したり転勤させ、忠実な部下に乗っ取らせれば何も皆殺しにしなくて済んだような)。
そこから、泥クジラ決死の逆襲、あるいは全力逃亡が始まるかと思えば、彼らの出自に絡む理由により首脳部老人達は集団自決を決定。
それに異を唱える者は、容赦なく排除。
驚くダークな展開。
このまま希望無く進行するのか、と思えば……
意外、首脳部は一枚岩でなく、スオウを中心とした新体制が発足、使い物になるかはともかく再侵攻に対する反撃訓練も始まる。
呑気な……と思えるお祭り騒ぎ?まで行われ、しかしそれは悲惨な死に方をした仲間達を送る儀式であり、皆の心に一区切りがつく。
こう来るとは思わなかった。
「泥クジラ内部での殺し合い」「自決に賛成な者、あくまで戦い抜こう(逃げよう)とする者の二派に別れ、主人公らは、大勢の命と共に沈む泥クジラを後にする」といった暗い流れが続くものだとばかり。
可愛らしいスオウの怒り、感情が表れ始めるリコス、頼れるオウニ、戦力としては確かだろうが人間的信用が不確定なシュアンと、キャラクターの個性が彫り込まれ、楽しい。
戦闘訓練を受けているのだろう帝国兵に対し、おままごと程度に戦い方を覚えたばかりの主人公勢。
普通なら相手にもならないはずで、もう、敵船内突入組に賭けるしか。
既に高慢でも、うまるライバル気取りポジションでもなくなっているシルフィン。
そうなると、果てしなく純粋で素直で世間知らずの可愛いだけキャラになってしまい、ちょっと弱いんじゃなかろうか。
弱いからどうなの、というと、もう凄く好き。
エンディングのプラプラダンスなど、胸がキュンとする感じ。
今回、母親も無駄に若く(声からして17歳ぐらいか)可愛いのが明らかになり、そういう点でもポイント高い。
今期は、うまるについてもダメダメな面が余りクローズアップされず、普通に良く出来た女の子に見えがちなのが不満と言えば不満。
メインの少女四人組が仲良くなって、微妙な緊張や距離感も失われているし。
結果としてストレス無く、癒やし効果の高いアニメになっており、それはそれで問題ないとも思えるが。
フォス、巨大ウェントリコススに取り込まれた際、てっきり「新たな特性を敵から逆に取り込んでパワーアップ復活、宝石側主力になる」ものかと。
割と迷惑なだけで終わっており、驚く。
ウェントリコススに騙され、月人に連れ去られそうになった折は、「月人本拠でその秘密へと迫り、地上に帰還した時には強化されていて…」とか思ったけど、両足を失っただけで月までも行かず。
どうにも、危機迫る状況設定で、全く戦えない少女がヒロインになっていると、「いつか必ず強くなるはず」という「少年ジャンプ」的思考から抜け出せなくて。
そういう作品じゃないんだな、とようやく思い始めた最近、フォスはアドミラビリス族から提供された貝殻?を失った足の代わりに生成し、驚くべきスピードを会得。
おお!やっぱりこうなるんだ!ここから彼女の『ワンピース』サンジばり足技アクションが炸裂するんだな!などという安易な予想はまた外れ、月人襲撃を前に何も出来ずタダ呆然としているだけ。
毎度、意表を突かれるというか、バトルが重要な要素となる作品でありながら、しかし強敵登場に伴い果てなく戦力を上げていくヒロインの大活躍ストーリーにするつもりは無いんだな、と今頃思い知る。
宝石人。
不思議な誕生理由を持ち、遙かな長寿であり性別がないどころか人間的な「命」「死」とさえ縁がなく、種族全体の社会システムもまだ不明確。
キレイな外見をしながら、理解が難しい生物。
それでも、さして違和感なく見られるのは、「そういう存在」としての描き方にブレがないから。
壊れたフォスを前に皆が嘆き悲しむとか、人間ならば当然そうするだろう、という常識的方向に流れてしまったら、世界観との間にズレが生じたと思うが、見たところそういうシーンは一切無く、徹底している。
キャラクター・バトル・物語、全てに作者独自の感性が強く感じられ、面白い。
衛星で放送された映画『キャビン・フィーバー リブート』を見る。
『ホステル』のイーライ・ロスが監督した2003年映画(未見)を、自身の製作総指揮でリメイクした作品。
タイトルの通り山奥のキャビンが舞台となり、そこに遊びに来た若い男女グループが病原菌の感染とか地元の野郎共によって酷い目に遭う、グロホラーバカ映画。
メインになる男女五人が、とにかく考え無しで人らしい心に欠けており、とてもじゃないが感情移入は無理。
銃の試し撃ちでうっかり他人を撃っちゃう、助けを求めるその相手を気味悪がって閉め出し、病原菌にやられた女友達をアッサリ離れに隔離放置、皆を見捨てて自分だけ助かろうとする勝手な行動続々、いや酷いヒドイ。
なので、彼ら彼女らが死んでも「まあ因果応報」としか。
死に様……手足だけ残して野犬に喰われちゃうのは、悲劇というかギャグっぽい。
病原菌の進行に苦しみ、「殺して楽にして」という女性に応え、男が、弾の出なくなった銃に換えてシャベルで首を落とそうとするのも何だけど、一撃では致命傷を与えられず、早くトドメをと求める女性に「もうこれ以上キミを直接苦しませることは出来ない!」とばかり、彼女に油を掛けて火を付け、上がる絶叫を後にして立ち去る男の限界を超えたヒドさには、ちょっと笑ってしまう。
意味ありげだけど実は考えてなさそうなラスト。
今後のパンデミックを示唆する、オリジナルがそうだったらしい終わり方で良かったような。
キワモノ好き暇人だけが見る映画。
異様な姿をしながらも穏やかなエリアス、人身売買は……そう見せて智世自らが望んだものであり結果として良い形に落ち着き、敵対するような者達もそうとは限らず、このまま平和な内容でシリーズを最後まで進めるのでは、と油断していた。
猫惨殺、液状化して飛び散る妻、男の喉笛を食い破る猫。
なかなかショッキングなシーンの連続。
悲劇を起こした元凶のカルタフィルスは、しかし、他者を苦しめて楽しんでいるというより、人間的な感情が理解できていないようにも見える。
それは、もしかしてエリアスにも通じる、人外のモノとしての特質?
どう考えても悲劇で終わるしかなさそうな今回の事件を、悲しくも満たされる最後に導いたストーリーラインに感心、というかちょっと泣けた。
病弱で恐らくは余命長くなかったろう奥さんを深く愛する限り、元々単純なハッピーエンドは有り得ず、その中では比較的救いのある終わり方だったろう。
そうさせたのは智世の力。
「運命」に流されようとせず、往生際悪くもがき続ける人間だったから出来たことで、奥さんを愛する余り騙され間違った方向へ走ってしまったダンナさんの人らしさと、あるいは同等のものだったかも知れない。
クーデターにおいて国王一家を殺害した「救国の英雄」でありながら、そうとは知らず国王の娘を愛し、自ら殺してしまったことで精神に障害を来し、二度と会えるはずのないその女性を「旅に出た」と思い込んで、ひたすら帰りを待ち続けている男。
彼を追い詰めるまいと、話を合わせて優しく見守る国の人々。
雇われ、献身的に彼を世話する女性。
国の関係者全てがウソをついており、それぞれが真相の全貌を知らないが故に、不思議な均衡を保っている。
この作品らしい、見終わって深く考え込まされる内容で、大変に面白かった。
結局、異常になったかに見せた英雄の男だけが、全体を把握していたのかな。
ラストで、キノに対し何事か話しに行く男を残し、妙に晴れ晴れと帰って行く王女もまた、男のウソを知っていて、知らないフリで通していたのかも知れないが(男と違い、キノにさえ本当のことを話さない、女性らしい一枚上の嘘つきだったとか)。
国王は、王女やスパイの情報を通し、クーデター計画を知っていた。
ならば防ぐことも出来たろうに、そうしなかった……それは、「もう面倒だから死んだことにして隣の国へ逃げ、持ち出した国家資産により家族でノンビリ暮らしたい」という平和思考からかもしれないし、「この機会に不満分子を残らずあぶり出し、いずれまとめて粛正、その後、国に戻って更に強固な政治体制を築く」のが目的なのかも。
後者だとすると、国民やクーデター仲間を救うには国王一家の生存を知らせねばならず、するとスパイの友人や王女の命まで危険にさらすことになる。
どちらを選択するか、決断できかねるだろう男としては、「自分は異常者なので何も知らず何も分からず、何も判断しない」というウソの演技を続けるしかない。
ウソばかりの中で、「いつまでも王女の帰りを待ち続ける男」「彼のため危険を冒して戻り、ただ側に居る王女」ここには確かに真実の愛情が存在しており、それだけで二人は幸せなのだろう。
何十年も対外的に結婚生活を維持しながら、しかし互いの気持ちは離れて冷え切っている夫婦と彼らでは、どちらが幸福で、どちらがよりウソツキなのかな。
極悪異常ヤクザを相手取り、壱郎の怒りが爆発する。
被害男性に警察へ駆け込まれたり、マスコミに露見したら大騒ぎとなり、今や「恐れるモノなんぞあるかい!」とばかり突っ走っても居られまい暴力団としては、相手にヤミの借金があるとか因縁が付いている訳でもない一般人を無茶な暴行の対象には、なかなかしないような。
損得で考えるに「余計なことはするな」って感じで。
ご意見無用・やりたい放題の非道集団として描くなら、目を潰すぐらいで済まさず、殺した方が後腐れなさそう。
壱郎に殺人をさせるのも、まあ、ナニだけど。
極悪組織で、失明し暴力人間としては役立たずになったかつての幹部のため、誰とも分からない相手を探し出して復讐する部下が居るとは思えず(その前に、勢力争いで弱体化した組ごと無くなりそう)、これで十分なのか。
もう一人の改造兵器人間・獅子神 皓の方が、ヤクザより恐ろしい。
一家皆殺しの際、父親と入浴中の幼い男の子はどうするのか……と思ったら、「息子を庇おうと覆い被さった姿勢のまま殺された、父親の体重で湯に沈められ、溺れ死ぬ」という、獅子神に一撃で殺されるよりもっとコワイ片付け方するのに、感心しつつゾワッと。
よく考えたなあ、こんな事。
そういう心の無さと、引きこもりの友達を救いたいという気持ちを一人の人間に同居させる造形が、凄い。
奥先生の作品は、心が冷えるような醜さ・汚さ・冷たさと、理想論過ぎるぐらいの美しさ・優しさ・温かさを同時に描くのが、特徴的。
そして、絶対……でもないけれど、後者に優位性を持たせがちなのは、作者の人間性ってものなんだろうな。
衛星で放送された映画『ミッドナイト・スペシャル』を見る。
SFの秀作、という売り文句に期待していたが、うーん、ネタバレ……『E.T.』というか『未知との遭遇』『スターマン』『ウィッチマウンテン』『ノウイング』等々、余りにもありふれた「約束の地点まで辿り着け」パターン。
さして特異な部分も無く、よくあるヤツね、としか言い様がない。
唯一の女性キャラとしてキルスティン・ダンストが出演。
当時33歳ぐらい?のはずだけど、何だか50歳ぐらいに見えて、老けたなあと感慨。
アダム・ドライバーとかサム・シェパード(遺作?)も、大した役柄ではないが姿を見せており、ちょっと嬉しい。