オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『フラクタル』07.「虚飾の街」

 前回、今回と、いくらかストーリーが動き出したように思え、だいぶ離れかけていた集中力も戻ってきた感じ。
 ただ、こうなると「フラクタル」という特殊な、扱い切れていない設定がネックになっている。

 一人で気ままに楽しく過ごしているのかと思えば、えらく悲惨な境遇に追いやられている(選んでいる)クレイン父。
 彼は、どうしてあんな事やり続けてるんだろ?
いや、一応は目的を語っていたけど納得できる内容でなく。
 そういう人間である父が、息子を放置しているのは不思議。
息子が暮らすフラクタル街も崩壊してしまってたら、どうするつもりだったのか?
 今回描かれたようなフラクタル大都会で、何らかの才能を認められ、自分一人面白おかしく過ごしている…ぐらいの典型的「酷い父親」イメージだったんだけど。
 他に女を作って蒸発したものの、女に捨てられ一人になっても今更家族に合わせる顔が無く、うらぶれた街で暮らす父、というのが近い像?

 結局、クレインは男の正体に気付かなかったみたいだが、父の方はどうだったのか。
当事者二人を曖昧に終わらせておいて、勝手にフリュネが真実に気付いてしまう、この終わり方も「どう受け取って欲しいのか」不明確。
 「解釈や意味付けを見た人に任せる作り方」……かなあ。

 今回。
 あれがほぼ完全にフラクタルが機能している街?
被せたバーチャル映像と現実の間に齟齬があり、楽しそうというより、危険でこんなとこ住めない、としか。
『電脳コイル』でもそういうシーンがあったけど、アレは余りに古くなり人も来ない場所で、やむを得ないと思えたが。
 フラクタルも、データ更新が数十年(百年?)単位で行われていないのか。
そうなると、段差でコケて骨折したり下手すると死ぬ人間が出そう…とても楽しい街に思えない。
 だから、金持ちは街を出ている?
牧畜して自然に近い環境で生きるのは、決して「優雅」とばかり言えないような。
 バーチャル映像が消えた途端、街中に人の姿が全く無くなってしまうのは、第一話のバザーもそうだったけど、何故?
面倒臭いことは勿論、整えた街中で楽しく快適に生きることまでドッペルに全て任せ、絶滅に瀕している(生殖行為もなくなって)残り僅かの人間は、どこかでクレイン父のように苦難の道を歩んでいるのか。

 人型(鎧型)ロボットが登場したのは、初めてだっけ。
フラクタルにより誤魔化している街で実務を担当しているのは、こういったロボットなんだろう(アレは実物だよね?)。
 クレインを撃った銃は空中にポンと現れたように見えるけど、実物?バーチャル銃?
ネッサに触ることも出来るんだから、クレインの体内機構に「銃撃された」誤信号を送りさえすれば、本当に撃たなくても殺せたりするのかな。

 電脳バーチャル世界に『電脳コイル』のような魅力がないため、いっそフラクタルなんて設定やめてしまえば、とか思ってしまう。
『未来少年コナン』イタダキで、インダストリアとハイハーバー対立の図式をそのまま持ち込めば、遙かに分かり易くなりそう。
そうなると、キャラや物語自体の弱さが よりハッキリしてしまうだろうが。
 不明点も不満点も多いけど、とにかく話に動きが見えたので、最後まで見続けられそう…かな。
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