オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

映画『コララインとボタンの魔女』

 WOWOWで放送された映画『コララインとボタンの魔女』を見る。
 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(よくティム・バートン「監督作品」と勘違いされる)』『ジャイアント・ピーチ(大好き)』のヘンリー・セリック監督が手掛ける、人形アニメ。

 人形が驚くぐらい滑らかに動き、表情豊かで、セコい所の見当たらない美麗なセットを組んであるため、最初は「CG?」と思ってしまう。
 アナログな暖かさや良い意味での不自然さがあって差別化できているけれど、その辺はCGでも故意に入れればこの先まるで不可能な表現でもなく思え、今後、恐ろしく手間暇の掛かる人形アニメが どうやって独自の魅力を発揮してCGと差を付けていくか、難しいところ。

 物語自体はそんなに意外なものでもないが、世界観の構築やコララインのキャラクターがとても良く出来ており、色彩設計まで含めた画面の美しさもあって、内容にググッと引きずり込まれ、楽しく見てしまった。
 ダメダメな現実の人間達と、凄い・理想的な夢の住人達の対比が面白い。
ババア二人組の「本当の姿」には、笑ったり感心したり某アニメ化された漫画を思い出したり。

 コララインの両親は さして裕福でなく、いつもライターとしての仕事に忙殺されて、娘に割く時間が限られている。
娘を愛していない訳ではないのだが、彼女を受け入れる余裕が無く、「邪魔」にさえ思うことが度々。
 この辺、凄くリアルで身に詰まされる。
ヒマな時はともかく、ギリギリ追い詰められた状況では、娘の幼い・意味がない「戯言」なんか聞いていられない気持ちになって、仕方なかろうと思ってしまうため。
 〆切最終日に到っては、娘に対し「一日中寝ていてくれないものか」などと酷いこと考えるし。

 ボタンの魔女は、悪役として描かれているけれど、凄く寂しいキャラだと思った。
 コララインの魂だけが欲しいなら、最初に会った時から(コラライン両親のように)閉じこめて強奪することも出来たろう。
 でも、美味しい料理・全てを受け容れる物分かりの良い態度・楽しい時間を与えたのは、騙して懐柔するため、もあったろうが、ウソでない本当の愛情が欲しかったからじゃないかなあ。
コララインが寝入るまで、ベッドの側に腰掛け、優しい笑顔を浮かべて見守っているシーンなんて、ちょっと胸が痛くなる。

 魔女も、コララインも、愛情を求め、他者に要求するモノばかり大きいという意味では似通っている。
その前に、自らを省みて変えようとする努力が不足しているところも。
 それは人の業だと言え、愛犬が死んでも側に居ることを要求するババア二人組・トビネズミに無理な芸を仕込むボビンスキーの強欲さにも通じる。
 ボタンの目は、現実を見えなくさせ、勝手な理想ばかりを見続けさせる力があったのでは(魔女の「余所の子でなく、私と繋がった娘になりなさい」という気持ちもあろうが)。
コララインは、美しいばかりでない現実も直視し、受け入れ、努力により変えていこうとする気持ちがまだあったから、逃げ出すことが出来た。

 娘が大きくなったら、見せてやりたい。
 どう思うかなあ、「ボタンの目にさえしなくて良いなら、ダメダメな両親なんか捨てて魔女とずっと暮らしてもイイ」とか思われたりしそうでコワくもある。
 「代償を何も求めない愛情は、だから無限に与えられるはずがなく、ほとんど親からしか貰えない恐ろしく貴重なもの」…なのかも知れない、などと考えてみたり。
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