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『フラクタル - FRACTALE -』10.「僧院へ」

 各勢力が命を賭けた決戦の最中、飛んできて無傷のクレインも不自然だけど、この重要な局面で指揮官であるスンダが着艦する彼らをお迎えに出ている呑気さには驚く。
 確かに、全体の戦況が分かり辛いしロストミレニアム・僧院双方共に何の作戦もなく漫然と戦っているだけの面白味がない空戦ではあるが、制作者自らが「弛緩した戦いだよ」と認めるようなシーンを作っては困る。

 背後からの攻撃を受け危機的状態であろう艦内で、突然「人殺し!人殺しだけじゃなくて自分殺しだ!…人殺しだけど仲間だ」と、演説を始めるクレインに目が点。
そんな場合なのか…この子は、というか制作者の頭の中でこのセリフはどう受け取って欲しいのか、実に不思議。
 スンダ達を人殺しと呼ぶからには、自身は何があろうと銃を持たない信念があるのかと思えば、僧院突入後は大した葛藤もなく人に対して銃口を向ける(話の都合に助けられ結局殺さないで済むが)。
 ここいら、「その場その場での描きたい物によりキャラの人格が歪められている」のか、「クレインって状況判断がまるで出来ない上、人格が分裂気味の自分勝手なガキである」として問題ない行動に描いたつもりなのか、分からない。

 フリュネの首を絞める、実は成長したフリュネ複製の一人であるモーラン。
 モーランの内面なんて描かれたっけ?
積み重ねられた行動と心理描写の結果、でなければならないものを、思いつきみたいにポンと投げてこられても反応に困る。
 フラクタル必要論・不要論についてもそう。
そのシステムが理想的にも悪夢のようにも示されておらず、「あっても良いし無くても良い」程度のものなため、そんなこと言われても……

 クレインとの約束を破ってまで彼の元に行きたいネッサ、決死の思いで(だろう、楽々に見えたけど)彼女の気持ちに応え僧院へと突っ込むエンリ、この行動の結果が、「イキナリ捕まっている足手まといの二人」という絵で表されるのにビックリ。
戦いで物語を盛り上げようという意図はないのかも知れない…他の何でも盛り上がってない…が、ウンザリするような愚挙(に描く行動)を見せるのはさすがにどうだろ。
 僧院のババア達も全員、ネッサ・フリュネ複製の老人体なのかなあ。
「それからの私は全てコピーのコピー」『ルパン対複製人間』マモーみたい。
最後には巨大なオリジナルのネッサが登場したり。
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