オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『純潔のマリア』最終12話.「愛は、全てに勝つ」

 リアル魔女っ子物、終了。
 シリーズ開幕当初は、キャラ同士の絡みや世界状況、「戦争を止めたい魔女」にもピンと来ず、ただ眺めているような状態だったけれど、ストーリーが進むにつれキャラの魅力や先行きへの興味が増し、すっかり感情移入して見られるようになった。
 マリアが何故そんなに戦いを止めたいのか、ポンと答えを投げてくるのではなく、マリア自身にも分かっていないとして視聴者と共に迷い考えさせる構成、上手いなあ。

 神側が敵、というか、殺し合いである戦争を止める介入であってもしてはならないと無理解を示す側なのが、面白い。
 物語としても、戦いが無くなったから無事に故郷へと帰れて助かる者も居れば、利益を上げるチャンスを逃して困る者も。
その場では戦いを止められても、後日、再度の戦いが起きて無意味になってしまう事があり、勝敗の行方が変わる可能性もある。
 好きに戦わせるのと止めるのと、どちらが良いのか…いや「良い」ってこの場合、何が?
 神の意図は計り難し。
まあ、そこら辺の宗教にあるような分かり易い・俗な神様じゃ、「凄い力を持っているだけのタダの人間」と変わりない訳で。

 罪なき者のみ石を投げよ、どころか、マリアは老婆を庇う目的で自身に石を投げさせており、魔女よりはすっかり聖女の風格。
この一例だけで、神側も矛を収めて良かったような…
 まだまだ未完成な少女・エゼキエルをマリアの元に送ったのは神の不手際、かと思ったが、彼女の存在を「脅迫材料」にして、マリアを人間に引き摺り落としてしまう辺り、見事な策士ぶり。
 女性は(人間は)子供を産んで育て、次の世代へと希望を託す事で、世界を根本から変えていく事が出来る…出来るはず、本当は。
超絶の魔力を振るってその場限りに戦いを止めるより、マリアは、ずっと凄い力・可能性を手に入れたのかも知れない。

 業の深いベルナールだが、「神」を絶対視しない自分のような人間には、言葉や行動に、なるほどと頷けるトコロも。
神を否定しようとしたどころか殺そうとまでした、とはいえ、絶対的能力を持つミカエルに害を成すことなど出来るはず無い訳で、塩の柱にしなくても良いよう感じてしまう……これは人間界への介入じゃないのか?
「神」の意思を勝手に代弁するのみならず、自ら神と名乗る者達、後の世では珍しくもないのに。

 とにかくエゼキエルが可愛くて愛しい。
ウチの子になって欲しいぐらい。
 ビブ・エドウィナの両極端コンビ?も、二人でスピンオフを作れそうなぐらい味があった。
 見る人により読み取れる物が違うだろう懐の深さを持ち、しかし単純に見ても楽しい、優れた作品だった。
スポンサーサイト

アニメ | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<『レーカン!』01.「わたし、視えるんです。」 | HOME | 『夜ノヤッターマン』最終12話.「夜明け」>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |