オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『CLANNAD AFTER STORY』16.「白い闇」

 朋也達の部屋に集まってきた旧友達との会話。
 「親」になる朋也に、その心境を尋ねる春原。
実感がない、という答え。
 自分にも「親」になった友人は多くおり、まだ親たり得ない身として、同じような事を尋ねた事がある。
二十代の友人も、三十・四十代の友人も、変わらず答えは「よく分からない」だった(「嬉しい」「増える家族のためにも頑張って働く」というのは前提として)。
 自らの体の内に大きな変化が生じ、やがて大きなリスクを冒して新しい命を生み出す「覚悟」を否応なく持たなければならない女性に比べ、男が「親」になる実感を持つのは ずっと遅れてしまう。

 目指すべき大人が出てこないし、登場キャラクターらも高校時代で精神年齢が止まり、彼らを大人にするような環境は用意されない作品作りが疑問だったけれど、「妊娠・出産」というイベントに「誕生と死」を同時発生させて、大人になるべき状況であり、大人にならなければならない立場にあるが、その自覚を持たない主人公・朋也(…それは自分含む多くの視聴者と等身大だろう)に、ただこの一点で変化を強いる物語だったのか、と思う。
 本当にそうなのか、それが上手く行ったのかどうかは、まだこの後を見なければ分からないけれど。

 腕に抱きかかえた我が子と、衰弱しきった様子で横たわる渚以外、全てが白く消えて存在しなくなる出産後の世界。
 相手を安心させようと無理をしても笑ってみせるキャラクターである渚に、そんな余裕さえなく、表情が無くなってしまっている。
渚のセリフに、健気さや可哀想さを強調するモノはいくらでも考えられたと思え、視聴者の涙を振り絞らせる事は まだ数段階にわたって可能だったと思うが、そう「しない」判断が素晴らしい。

 新しい命を抱える喜びと、目の前で失われようとしている渚の命を同時に目の当たりにする朋也の顔に浮かぶ、嬉しさと悲しさと希望と絶望。
 命の炎がゆっくりと小さくなっていき、燃え尽きる、渚の表情。
 渾身の、演出と作画。

 泣けた。
 こういうのはズルい。
 でも泣いた。

 卒業というイベントに意味が無くなるからキャラクター達は成長するべきだ、と思いつつ、そんなドラマなんかどうでもイイから親子三人アホみたいな笑顔で「ボク達幸せです」とかのうのうと抜かす終わり方を望んでもいた、矛盾する心境だったのだけれど。
 あと何話ある物語なのだろうか。
どのようにしてこの辛い因果を閉じるのだろうか。
 「見続けていて良かった」と思わせてくれる作品であって欲しい。
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