オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

『CLANNAD AFTER STORY』22.「小さな手のひら」

 これは…どう捉えれば良いのか……
 異世界の少女とロボットは、渚と朋也の事だと思い込んでいたため、父娘だったのは意外。
ファンタジー世界で、自分は その世界その物であると娘が言い出した事によって、現実世界で、街の有り様と渚・汐の命が繋がっているような「リアルに考えると違和感ばかり」の設定を、何となく受け入れられるようになった。
 汐は、朋也と違い異世界から抜け出せないような事を言っていた所からすると、この異世界を起点として、そこでの死…終了が契機となり、現実世界での やり直しが始まって、何度かの軌道修正の末に「幸せな現在」が有り得るようになった、という事なのか。
 うーん、定かな理解は難しい。

 「幸せなルート」が始まってからずっと、それが満たされたものであればあるほど、いつ現実で朋也の目が覚めて、そこが病院のベッドである事に気が付き、小さく冷たい骸となった娘の姿を目にして「幸せなどもうどこにもない」と絶叫を上げるのか…恐れていた。
 そんな悲惨な、冷酷な描かれ方はせず、作品はハッピーなまま終わる。
 良かった。
「これこそ見たかった作品の姿」なのだし、笑顔を見せる渚と汐には、胸が温かくなる。
 でも、良くない。
何のために辛い重い悲しい物語を見せてきたのか。
その全てを背負い、受け入れた末にようやく至れる「何か」を描き出し、伝えたいからではなかったのか。

 死を一度見せる事による平穏な日常幸福の創出は、テーマに値するものかも知れないし、「どうであれキャラクター達に幸せになって欲しい」制作者の気持ちは、よく分かり、モノを作る端っこに居るものとして それを責めるのは間違いですらあろう。
 それでも、渚や汐の最期が本当に辛かったからこそ、「それが無かった世界」ではなく、「それが無ければ決して語り得なかったもの」を見せて欲しかった。

 良かった、泣けた、嬉しい。
 良くない、こんなのダメだ。
 相反する考えが渦巻いて、結論として どうだ、というのは言えない状態。

 まだ次回、時間を巻き戻してのエピローグ(オマケ?)があるようなので、それも見てみないと。
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